2018年6月20日水曜日

タクティクスオウガ名言考察と分析まとめ。弱者の権利

前々回がおおまかなタクティクスオウガの名言と世界観の考察と分析。
前回が二人のランスロットの名言を中心に、考察と分析をしました。

今回はそれ等らのまとめと「弱者の権利」と「自由とは何か?」を中心に、考察と分析をしてみます。



老婆の名言。
「あんたたちが何もしなければ、平和な生活が続いたんだ」
「解放軍だかなんだか知らないが、あたしたちには関わりないことだ」

暗黒騎士ランスロットの名言。
「被害者でいるほうが楽なのだ。
弱者だから不平を言うのではない。
不満をこぼしたいからこそ弱者の立場に身を置くのだ。
彼らは望んで『弱者』になるのだよ」」


……「快楽」を追求したい。
……「嫌なことは嫌!」と主張したい。
その「本能」のプログラムに私達は「支配」されてしまい、「時間」を無駄に薄めてしまっているのです。

誰もが潜在意識で強く囁いています。
「今のままでいい。変わっても変わらなくても変わらないじゃないか」


……後日談ですが、お師匠様に「弱者はとても強い権利を持っている。皆、人生をかけて弱者の権利の使い方を学んでいる」と説明をして頂きました。
タクティクスオウガの記事を書くまでは、「弱者の権利」なんて物の見方はしたことがなかったので、とても勉強になりました。

「弱者の権利」自体が一つの記事コンテンツになると思うので、権利とは何か?を考察と分析してみたいと思います。
ただ、他にも書きたい順番やお読みいただきたい内容もあるので、のんびりお待ちください。



大切なことなので、一番重要な場面をもう一度記載します。

聖騎士ランスロット
「ばかな……人には自分の人生を決定する権利がある。
自由があるのだ!」

暗黒騎士ランスロット
「わからぬか!本当の自由とは誰かに与えてもらうものではない。
自分で勝ち取るものだ。しかし民は自分以外にそれを求める。
自分では何もしないくせに権利だけは主張する。
救世主の登場を今か、今かと待っているくせに、自分がその救世主になろうとはしない。
それが民だっ!」



……私達が認識している「自由」は与えられるものが多いのに気づきます。
「一流商社に勤め、真面目にコツコツ働き、定年退職後、悠々自適に海外旅行や農業をする」
「いい大学に出て、いい会社で働き、人に迷惑をかけず、素敵な結婚相手と出会い、子供を育て、子供をいい学校に行かせる」

強調しますが否定をしたいのではありません。
私はそういったものが生理的に受け付けず、放棄してしまい他者に迷惑をかける堕落した人生を過ごしました。

私はうさめん(うさぎメンタル)だったから、「感情」に負け続け、「本能」に負け続け、いつまでもいつまでも「自分ではない自分」が自分を支配し続けていたのです。

どろろの百鬼丸に例えた記事があるので、そちらも参考になるかと思います。
日々、実感するのは「脳は快感に弱い」という事実ばかりです。




そして、社会経験的な「派遣社員の辛さ」や「飲食店の大変さ」「いつまでも続く工場の単純作業」「荷揚げやポスティングなどの安くてこきつかわれる仕事」「介護独特の世界」を経験したからこそ思うのですが、「続けられる=やり遂げる人間」は本当に凄いと思います。

別の記事でまとめていきますが、どんな仕事にも嫌な面と大変な面はあるし、喜びや感動があります。
なぜなら、「人に必要とされ、成果を認められ、報酬を得ることができ、行為が報われる」からです。



しかし、私達は「自分の意志で自分の人生を決定する=権利」を何回やったでしょうか?
どっかしらで頭をもたげる「誰かに言われたこと」「誰かが決めたこと」に従っていないでしょうか?

音楽の記事コンテンツで詳しく書きますが、私は尾崎豊の「卒業」が大好きでいつもカラオケで唄います。
「仕組まれた自由に誰も気づかずに」
このワンフレーズがたまらなく好きなのです。

私のブログを読まれるニッチなニーズが好きな方達なら、言われなくても知っていることが多分に含まれていると思います。
しかし、日々の生活で忘れがちであり見過ごしがちであるからこそ、ブログに記事として残させて頂きます。
誰かのためと駄目な自分のために。


「(前略)不満をこぼしたいからこそ弱者の立場に身を置くのだ。
彼らは望んで『弱者』になるのだよ」

「わからぬか!本当の自由とは誰かに与えてもらうものではない。
自分で勝ち取るものだ。しかし民は自分以外にそれを求める。
自分では何もしないくせに権利だけは主張する。
(中略)自分がその救世主になろうとはしない。
それが民だっ!」

「人には自分の人生を決定する権利がある。
自由があるのだ!」


……私達の人生は不都合なことばかりです。
そして、本能がどうしても訴えてしまいます。
「私にだって権利がある!」
「不満という権利」にいつまでも支配されてしまいます。

溜まったストレスを分解しようと、「本能」は「快楽」を要求します。
「こんなにストレスが溜まっているんだから、デザートを食べすぎても良い権利がある」
「こんなに疲れているんだから、会社を休んでもいい、休みの日はたっぷり寝る権利がある」
「一生懸命働いているんだから、ゲームやスマホに熱中したっていいじゃない!」
「家族のために稼いでいるんだから、小遣いくらいパチスロに使ったっていいだろ!」
「私だって、家族のために毎日家事をしているわ。貴方にはその苦労がわからないのよ!」



……書いてて子供の頃の親子喧嘩を思い出しました。
勿論、当時にスマホはありませんが、生きてたら確実に依存症になっていたと思います。
母とゲームを思い返すと、「ドクターマリオ」を思い出します。
本題からズレるし悲しい話なので、また別のゲーム記事でまとめます。

上記の会話を見れば、よくある「夫婦喧嘩」です。
今なら理解できていると思いますが、「立場の違いによる権利を主張」することから争いが始まっていると確信しています。

私も両親も本能に弱い人種でした。
本能は知っているのです。
「弱者という立場に身を甘んじれば、他者に迷惑をかけても『快楽』にいつまでも浸れることを」

何故、私達は「世の中が良くなって欲しいと願っているのにならないのか?」
この答えも隠されています。

本能は知っているのです。
「私以外の誰か=救世主が世の中を良くして、心の余裕のためにちょっとした『快楽』に没頭していたい。
『民』の立場でいたいのです」

……また後日談ですが、お師匠様に「なぜ、主体ではなく『弱者』の立場に身を置いたかを一つずつ解明しなさい」
と言われました。

先延ばし、快楽を追求、めんどくさがり……思い当たる要因は幾つもあるので、一つずつ記事にすることで自分を究明していきます。
今なら、自分の中の「真実」に社会を究明する答えもあると信じられます。



これより下の文章は、この記事コンテンツを読んで、何かしら響いた方にだけ訴えます。
タクティクスオウガのキャラクター達がやり方と可能性を提示しています。

アロセールの名言。
「民が自分たちで『未来』を決めることのできる社会だッ!」

主人公デニムの名言。
「苦しんでいる人々がすぐそばにいるんだよ、姉(カチュア)さん。
僕はそうした人々のために戦いたい。
なのに、姉さんはすぐに逃げることだけを考える。
自分のことしか考えられないのかい?」


……私のように、いつまでも「本能」のプログラムに負け(逃げ)続け、弱者であり続けるか?
同じように苦しんでいる人々のために、行動という意思表現をするか?

「自分の都合を優先するか、他者にとっての「より良い未来」を優先するか」
お師匠様にも教えてもらった大事な人類のテーマです。

タクティクスオウガのデニムが、主人公であり続けた由縁は、他者が虐げられ困り果て疲れ果てているのを見て見ぬふりが出来なかった。
単純に言えば、「弱い自分であり続けたくない。逃げたくない」からだと思います。

「逃げたくない」は、ゲーム記事第二弾「幻想水滸伝Ⅱ」でまとめさせて頂きます。


師匠の聖騎士ランスロットがどんな状況でも逃げなかったからでしょうね。
そして、きっとその思いは、結局壊れてしまった師匠の聖騎士ランスロットの思い=イズムを未来の若者達のために築きたかったからだと思います。
誰かのために生きつづけた聖騎士ランスロットは、精神崩壊を起こし言葉も喋られなくなってしまう。



デニムが自分の都合を優先すれば、いくらでも逃げられたと思います。
虐殺の汚名を着せられ、民からは罵倒され、親友に裏切られ、一緒に育った義理の姉からも理解されない。

立場とやり方が違うだけで、被害者ばかりの敵達、解放運動のプレッシャー、あっけなく死んでいく仲間達……16歳の少年に課すには、あまりにも酷な運命です。

しかし、デニムは逃げませんでした。
本当の意味で覚悟が定まったのは、師匠の聖騎士ランスロットの生きざまに強く影響を受けたからだと解釈しています。

聖騎士ランスロットも最後まで自分の立場から逃げなかったですから。
その結果、王=リーダーの立場を歩み続ける事が出来たのだと思います。
きっと、王になりたかったというよりも逃げたくなかっただけだと思います。

「自分の本心に正直に生きる『誰か』に強く影響され、自分が本心に従い『誰か』に強く影響する」
これこそが私達人類が歩み続けてきた本当の「歴史」ではないでしょうか?

普段の生活で何気ない「権利の主張」をふとした時にこそ、この記事を思い出してもらえれば幸いです。
「立場という認識」が争いの原点であり、自分の人生へ強く影響を与えているのですから。

そして、私達が目指すべき未来も既に「真実」に限りなく近い一つの答えがあります。

「民が自分たちで『未来』を決めることのできる社会」
それこそが私達が忘れてはいけない、目指すべき未来だと私は思います。

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