2018年6月27日水曜日

情報中毒。デジタルヘロインの危険性を分析と考察

今回は情報シリーズ第二弾として、「情報中毒。デジタルヘロインの危険性について分析と考察」させて頂きます。
恐らく、文章の癖の感じや味が普段と違うと思いますが、没記事をブログに再利用したリサイクルな記事なので、ご容赦頂けると嬉しいです。



私達現代人は常に新しい情報を求めています。
それこそ、ウェブサイトの更新を絶えず求め、SNSをこまめにチェックしています。

スマホをよくいじる人なら一度は経験があると思いますが、自分が投稿した内容に「いいね」がついていないか気になってSNSを開いたり、お気に入りの人のページが更新されていないかついつい見てしまった経験があるのではないかと思います。

インターネットをやらない人でも、テレビや新聞、ラジオから懸命に新鮮な情報を得ようと努めています。



ではなぜ、私達は情報という「刺激」を求め続けているのでしょうか?
いつものように考察と分析をする上で、真っ先に浮かんだのは、「新しい情報は脳にとってドーパミンを促す興奮性の刺激作用がある」ということを思いつきました。

関連したエビデンスを並べさせて頂きます。
ミシガン大学心理学部のケント・ベリッジ教授は、ドーパミン神経について以下のように説明しています。

『ドーパミン神経系は、飽きるということを知らない』
『そして特定の条件下では、何かを無分別に過剰に、生活に支障が出るほどに、欲する気持ちを起こさせる』


ワシントン州立大学の神経科学者ヤーク・パンクセップもドーパミン神経の危うさについて説明しています。

『ドーパミン系は予期せぬものを見出したり、新しいものを期待したりすることで活性化される』
『電子メールやテキストメッセージ、ウェブサイトの更新など予期せぬ形で報酬を与えられるとより一層の興奮を覚える』

『われわれの脳のなかで情報が報酬を引き起こす仕組みと関係している。
脳細胞は、「すでに知っている事柄」について、さらなる情報を求めるよう調整されている。
要するに、脳細胞は常に、自らの「予測誤差信号」(prediction-error signal)、すなわち予測と実際に生じるものとの差を縮小しようとする』
(出典)なぜ人は新しい情報を欲するのか:「情報中毒」と「好奇心のパラドックス」より抜粋。一部、要約。

……ドーパミン神経と聞いても、私を含め曖昧に理解したままの方もいらっしゃると思うので、詳しく調べてみます。

『ドーパミン神経は哺乳類の報酬系(快感を司る神経)とされており、覚せい剤やコカインなどの麻薬は、中脳腹側被蓋野に多くあるμ受容体に結合、中脳腹側被蓋野は快感を司る、通称A10神経の司令塔であり、ドーパミン作働性ニューロンをフル稼働させることで強い快感を生み出しています』
(出典)感動の源泉(1)wikipediaなどから要点を要約。

覚せい剤やコカインなどの麻薬は、人生を破滅させるリスクが高いのは誰もが知っています。
しかし、21世紀になった現代社会は身の周りに自身を破滅させる「情報という娯楽」が数多く溢れています。

コンピューター、テレビ、ラジオ、スマートフォン、タブレット、カジノ、映画館、コンビニ、ディスカウントショップ、ゲームセンター、パチンコ屋……それら全てが絶えず私達を「快楽の虜」にしようと誘惑し続けています。


興味深い研究があります。
「インターネット依存者、インターネットゲーム依存者の脳が、神経線維の走行がおかしくなり、行動や感情のコントロールに関わる領域が委縮し、社会性や注意力、記憶に関わる領域で異常が起きていることが判明」している。

また、スロットマシンをプレイしている人の脳はヘロインを接種したのと質的に同じ状態になっています。
特定のゲームに依存している人の脳は、ゲームを立ち上げた瞬間に、脳が薬物乱用者のようになっているのも判明しています。



他にも、違う角度から集めたエビデンスです。

『故スティーブ・ジョブズが2010年のインタビューで、自分の子供達はiPadを持っていないと言っていたのは興味深い。

実際、シリコンバレーの大物のうち驚くほど多くが、ある種の機器に子どもたちを近寄らせないようにしている。

サンフランシスコのベイエリアにある私立学校では電子機器は使用禁止で、iPhoneもiPadも使用禁止だ。
この学校に関して面白いのは、親の75%がテクノロジー業界の幹部』
(出典)東洋経済オンライン「スマホやSNSに「依存」するのは理由があった」より要点を要約。


……あくまで私の分析と考察ですが、デジタルヘロイン(情報中毒)の危険性を知り、子供がそうならないように導いているとしか思えません。
恐らく、今までの内容を読んだ方なら、自分の子供や関係者に対して、禁止はしないにしても「やり過ぎは本当にやばいよ!」って伝えると思います。

私は知人や友人含め、口が酸っぱくなるくらい伝えています。

悲しいかな日本の子供達は、常にデジタルヘロインに野放しになっており、ラインやスマホ、アプリやユーチューブなどに熱中してしまっています。

日本語に「心技体」という言葉があるが、現代の日本はテクニックと同義語の「技」ばかりが競わされてしまっています。

誰かに出し抜かれないように、常に新しい情報と刺激を求め、頻繁にスマホをチェックしてしまう世相ばかりが強くなっていってしまってます。

そして、誰といてもどこにいてもインスタグラムの写真に「いいね!」がついていないか、ツィッターにファボ(お気に入り)がどれくらいついたかが気になってしまっています。
その構造、仕組みこそが問題なのです。
誰も悪くない被害者であり、誰もが悪い面を持たされてしまっているのです。

その結果、インターネット依存者やスマホ依存症という「情報の被害者達」が今も誕生しています。

被害者達は皆、同じような言葉を繰り返します。
「チェックせずにはいられない。
やめようとは思っているけど、つい見てしまう」


……行動依存症という観点で見れば、薬物中毒者やギャンブル依存症の人達と同じ言い訳をしてしまっているのです。
私が思うにですが、ニュースで報道される「依存症」は「特定の依存行動」ばかりにスポットがあてられています。

しかし、問題なのは「特定の依存行動」ではなく、「何気ない行動の中に依存行動があるシステム」が問題なのだと私は思います。
時間を多大に浪費しているか、金銭を多大に浪費しているか、あるいは両方か……いずれかに該当するものばかりです。


薬物中毒者、ギャンブル依存症、インターネット依存症、スマホ依存症含めたすべての依存症の人達に言えるのは、その行為と製品が自分の生活と可能性を侵害していないか着目してみませんか?

そして、その製品と行為が「心と体」にどれだけ悪影響を与えているか見つめなおすことが大切なように思えます。


『脳もコンピューターも、情報処理装置という点で変わらない。
無理な負荷をかければ、パソコンの動作がおかしくなるように、脳にも大差のないことが起きてしまう。
残念ながら、パソコンなら初期化できるが、脳はそうはいかない。
動きが鈍ったままに、使い続けるしかない。

大人も心配だが、もっと危惧されるのは、脳が発達途上の子どもたちだ。
大切な時間が奪われるだけでなく、注意力や社会的機能の低下によって、将来までも奪われかねない事態となっている。
忌まわしいことに、デジタル・ヘロインが、その麻薬的な本性を現すのは、学業や社会適応に躓いたときである。「負け組の麻薬」として、さらに力を奪い、再起を困難にしている』
(出典)究極の麻薬「デジタル・ヘロイン」より抜粋。



……本当に素晴らしい文章です。
何より、脳も判断力も未発達な子供達の将来を危惧しているところに感銘を受けます。

コンピューターも脳も質の良いメンテナンスを行えば、パフォーマンスが高いまま長持ちするのはイメージできると思います。
だからこそ、自分が何気なく無意識に熱中している行為が、人生にとって脳にとって有益かどうか見直すことが一番の脳のメンテナンスなのではないかと私は思います。


『われわれはなぜ、視野が狭く、ある種のことに盲目的で、すぐに退屈してしまうのだろうか。
それは、脳が制限のあるマシンであり、情報処理の容量に限りがあるからだ。
結果としてわれわれは、すべての情報を平等に取り扱うことはない。
わたしにとってはすごい事実も、あなたにとっては無意味だし、あなたにとっての必要なディテールは、わたしにとっては退屈だ。
つまり、好奇心にはパラドックスがあるのだ──「すでに自分が知っていること」をもっと知りたい、という』
(出典)「情報中毒」と「好奇心のパラドックス」より抜粋。


21世紀になり約五分の一近く過ぎましたが、世界全体を平均で見た場合、あまりにも「脳の取り扱い方、感情の取り扱い方」を私達は学ぶ機会が少ないと感じます。

「私にとって興味のあることは、貴方にとって興味はないこと」
そう仕向けられ、無関心を是とする風潮ばかりが広まり、インターネットに熱中する社会。

根本的な原因の一つとして、「本心で生きられない。でも本心で生きたい。ネット上やゲームで思う存分表現したい。そして、繋がりたい」
という仕組みが、「動機」なのではないでしょうか?

まとめですが、何よりも自分が依存している行為を改善することが、結果として人生をより良いものにするのではないかと私は確信しています。
そのためには、何気なく熱中していること、何気なく時間を浪費していること……「自分」を形成している「自分以外の何か」としっかり向き合うことが重要だと確信しています。

お師匠様が教えてくれた「自分の治し方こそが社会の直し方だ」
少しずつその意味の理解を深められていると実感しています。

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