2018年6月13日水曜日

先延ばしの理由と原因を分析と考察。疲れるから嫌編

先延ばし・先送りの項目を自己解析・自己分析してみて、第三弾は「疲れるから嫌」にしようと思いました。
というのも、実はこの「疲れるのが嫌だ編」は、本来なら第二弾の記事でした。
私も大好きなネタばらしですが、ブログの記事コンテンツは若干書き貯めをしています。
そのため、第二弾(本来、疲れるから嫌編)と第四弾(先延ばしが快感)の記事の順番が逆になってしまいました。

間にドラゴンボール挟んだせいで、ワクワクが止まらなくなってしまったからかもしれません。
読んだ方達に、「DANDAN心惹かれていく」ような「摩訶不思議アドベンチャー」という「ロマンティックあげるよ」出来るよう日々精進します。



私には「労力を惜しむ」という悪癖があります。
困ったことに、「疲れるから嫌だから先延ばしにしよう!」や「先延ばしにすれば疲れない」という水魚の交わりをしてしまう強烈タッグです。
まるで、最凶タッグのスタン・ハンセン&ブルーザーブロディのように息の合ったコンビネーションを見せます。
本当に笑い事ではありません。

鶏が先か卵が先か。
「先延ばしにするから疲れを嫌うのか?」
「疲れを嫌うから先延ばしにするのか?」
結局どちらが先だったのか、自分を分析した結果、「疲労」というキーワードが自分の中でのウェイトが大きいことに気づきました。

そもそも受験勉強自体……いや、勉強すること自体が疲れました。
「勉強と疲労」のエピソードは他の記事でも書いたので割愛しますが、小学生の頃から疲れていたような気がします。
不思議なもんで、義理の親父と長距離トラックで日本を旅して、ちょっとした引っ越しの手伝いをした時や割とハードな空手の練習や自己トレーニングでは、ズシンといつまでも残る疲労は脳が覚えていないです。

人生の前半を振り返ってみると、「母親との人間関係」は疲れというキーワードで見れば、巨大なファクターです。
女性には失礼な話ですが、「女性と接するのは疲れるのが当たり前だ」という変な固定観念があります。
確実に、母親と接してきた経験からきていたと思います。
時間も労力も心もあれだけ割いて、その結果36歳の若さで亡くなってしまうなんて、報われませんでしたから。
本題=「先延ばしと疲労」からはずれるので、母とのエピソードはまたの機会にします。

「子は親によく似る」の最たる例ですが、母親は私に輪をかけて感情の起伏が激しく、言う事がコロコロ変わりました。
子供の私を溺愛していた母は、よく私を振り回しました。
蛙の子は蛙……変なとこばかり、母親に似てしまいました。

ただ、母のお蔭で「言ってることがコロコロ変わると周りを困らせ疲れさせる」という大事な大事な要素を学べたことに、心から感謝します。
そのことを私が忘れないだけで、16歳の時に亡くなった母はきっと報われるでしょうから。

今でも自分の中で要素として残る「人間関係の疲れ」は、母との人間関係との徒労感と無力感、中学での人間関係の空虚感と退屈感が大きく起因していると思います。
他者からすれば全く関係のない話ですが、自分の中では大いに関係のある話だから困ってしまいます。

更に、青年期以降の肉体的な疲労感も入り混じり、社会全体が感じている疲労感も合わさり、人生が疲れきってしまいました。
私の中で「疲労」というキーワードはとても大きな存在です。


私と仲の良い方ならご存知だと思いますが、一時期は「もう疲れた……人生、嫌になった。どうでもいい」が私を表す口癖でした。
当時は気づきませんでしたが、その言葉の並び通り、「疲れた⇒何もかも嫌⇒無気力」という流れだったんですね。

自分にとっても現代人にとっても「疲労」という存在は厄介なものです。
お師匠様も同じ感じ方をしていると思いますが、特定の組織や個人に都合がよいように、無気力の人間が誕生するような構図と仕組みが出来上がっている……その方向に向かっていると私も思います。

解決のカギは、「自分の中の疲労の原因とケース」を浮き彫りにする。
これに尽きると思います。

沢山歩いたけど、「あの」ズシンといつまでも残る疲労は感じなかった。
ちょっと頑張っただけなのに、なぜか残るような疲労がある。
一体、原因は何なんだろう?

やっと原因を突き止められたと思います。
……調べるまでは、「疲労は体よりも脳が感じている」という「脳疲労」という存在に気づけもしませんでした。
そして、「脳疲労」を嫌う自分のシステムこそが、「労力を惜しむ」自分を形成していたと今では確信できます。



結論をまとめますが、「疲れと先延ばし」は大きなパートナー関係だと思います。
「疲れ」という鶏が、「先延ばし」という卵=結果、行動パターンを産んでしまう。
「人はなぜ疲れるのか?」という記事もまとめたいですね……燃えます。

脳は疲れを嫌う怠け者な弱点があるから、身体を動かさない先延ばしを選んでしまう。
身体を動かさない人間は、どんどん身体を動かさないように神経が育ってしまう。
その結果、何をするにも先延ばしが第一選択肢になってしまう私のような人間が数多く誕生してしまったのだと思います。

社会全体で見れば、被害者達は社会にとって大きな損失と言えると自分は思います。
統合失調症でおかしくなった母も私とそう変わらないのですから。

モデルやレースクイーンだったという過去の栄光にすがるように、便秘薬を大量に飲んで病的に痩せ、子供の私に包丁を振り回したり、ベランダで大声で叫んだり、実の母親が奇行をしたりおかしくなっていく姿を見ることほど悲しいものはありませんでした。
そして、今も本人・家族が苦しみ続け、心が壊れてしまい人生も壊れてしまう……どうにかしなければいけない構図と仕組みです。

次回は、「先延ばしにする理由と原因~趣味に没頭したい編~」を書かせて頂きます。
疲れたくないから、場合によっては現実逃避に等しい趣味への没頭を人間は好むと思うので。

それから、お詫びもかねて、「ドラゴンボールの悪影響。悟空という父親、悟飯という息子」を夕方過ぎにアップ致します。

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