2018年7月20日金曜日

幻想水滸伝を考察と分析。罪の意識と託す意志

前回に続いて、幻想水滸伝を考察と分析してみます。
今回は主人公に強く影響を与えた二人の兄妹オデッサと軍師マッシュを中心にまとめてみます。


主にオデッサに焦点を当ててみたいと思います。
何と言っても、解放軍の基礎の基礎、中心メンバーを集めた偉大な人間性と功績を残していますから。


帝国の大将軍の息子の立場を捨てて、解放軍に助力する主人公。
帝国に対抗するために、火炎槍という武器の製作を依頼しに過酷な山登りを終えて、ひと休みした場面のワンシーンです。

寝つけない主人公が夜風に当たっていると、オデッサも寝つけないようで……



『あなたも ねむれないの?

わたしもね ねむれない夜が ときどきあるの

でも、こうして夜の風にあたっていると
すこしだけ 心がいやされる。

そんな気がしてくるの』

オデッサの話を聞くことにする主人公。

『みなが わたしに期待をよせてくれてるわ。

でもね、わたしは ときどき そこから
逃げ出してしまいたくなるの。

かれらの大きな期待に
わたしは答えられるのかと考えるとね。

あなたは これからどうするの。
本当は帝国にもどりたいんでしょう?』


……リーダーの苦悩が伝わってきますね。
オデッサはうら若き女性ですからね。

皆が憧れる「理想」のリーダーを務めなければいけない。
とてつもないプレッシャーの中にいるのだと思います。

記事を書こうとするまでは、この視点は思いつかなかったのですが、もしかしたら「求心力」についても悩んでいたのかもしれません。

幻想水滸伝をプレイされた方なら、同じ印象を持つと思うのですが、主人公が解放軍のリーダーになってトランの本拠地を手に入れるまでは、宿屋の裏から忍び込む下水道を改造したような場所で、メンバーや人数も少ないんです。

解放軍というよりは、クーデター組織や過激派組織と言った方が正しいのかもしれません。
恋人のフリックを筆頭に、ちょっと過激なメンバーもいれば、ハンフリーのようにまるで喋らないメンバーもいる。

一枚岩にするのには一苦労ですし、女性が軍のリーダー=ジェンダーについても悩んでいたのかもしれません。

オデッサに「帝国に戻りたい」と答えた場合の返答はこちらです。


『そうよね。あなたの 父は
帝国の勇将テオ・マクドールですものね。

わたしのおじのレオン・シルバーバーグも、
7年前の継承戦争を
皇帝とともに、戦った男よ。

そのため、わたしも帝国の
貴族連中の間でそだったわ。

だから、帝国にあふれる不平、不満を
見ないように生きて来たの。

でもわたしはシルバーバーグ家の娘ではなく
オデッサという名の
一人の女であることに 気づいたの。

あなたも、“テオの息子”ではなく、
ティエル・マクドールと、
呼ばれるように なりなさい。
あなたは あなたなのだから』


……オデッサ自身が、帝国での上流階級だったからこそ、主人公に共感を覚えたのだと思います。
特に女性は、結婚という古い慣習制度がありますから、「シルバーバーグ家の娘」という単語に重みがありますね。

「シルバーバーグの娘」という平穏な幸せよりも不平、不満に「見て見ぬふり」をする自分が嫌だったのだと思います。



「わからない」と答えた場合は更に内心を吐露してくれるので、個人的にはおススメな選択肢です。

『考えなさい。
あなたなら 正しいものを
選び取ることが できるはずよ。

あなたの父は帝国の大将軍、
もしかしたら、へいおん無事なくらしに
もどれるかもしれないわ。

でもね、おぼえておいて。
あなたは あなたの見たものから、
あなたの感じたものから、
目をそむけることはできないのよ。

それを するのは、
あまりにも、罪ぶかいことだから・・・』


……開口一番の「考えなさい」という台詞が好きです。

オデッサの親族は、兄のマッシュ、叔父のレオンといい天才軍師ぞろいです。
若いとはいえ、Ⅱのシュウもいるはずでしょうから相談相手には困らないほどです。

例えるなら、グーグルにウィキペディア、おまけにsiriまであるような状態です。
聞けば大概の事を答えてくれるでしょうし、生活水準といい困ることは何もなかったと思います。



しかし、心は満たされていなかったのだと思います。
「見たものから、感じたものから、目を背けることはできない」

せっかくなので、ゲームをプレイしていると見過ごしがちな村人や町人の台詞を記載させて頂きます。

『はたらいても、はたらいても
生活は苦しくなるばかり』

『何年も前に皇帝が変わったらしいが
こんな いなか町じゃだれが
皇帝になってもかわりゃしないな』

『なんだい、あんたらは・・
食いもんなら ないよ!!

あいつらが つくったさきから
持って行っちまうんだ!!!』


『・・・・おにいちゃん・・・
お兄チャンは 帝国軍の人なの?

ちがようよね? だってお兄チャンは
ぼくをぶたないじゃない』



……オデッサはこの一つひとつ、一人ひとりが「見過ごせなかった」のだと思います。
感じ方はそれぞれ、生き方もそれぞれで良いと思いますが、私はオデッサの「見て見ぬふりをするのは罪」と感じる部分は一人の人間として共感できます。

「罪の意識」自体はとても悪影響を秘めているので、別の機会でまとめさせて頂きますが、そんな「見て見ぬふりをする自分」を必要以上に責めてしまうオデッサが好きですね。

フリックの優しさでも癒せない心の痛みは、虐げられし者達のために率先して行動をしてしまう……

そこの「資質」こそがリーダーの器なのだと思います。



「あなたはふしぎな人ね。
あなたといると
やさしい気持ちになれる。

ビクトールも そんなところを
見ぬいたから、
あなたをつれてきたんでしょうね。

解放軍にも、多くの人がいるわ。
ハンフリー、サンチェス、モース、
そして・・・フリック・・・、

でも、あなたのような・・・
人をひきつける目をした人は・・いない。
多くの人々を・・ひきつける・・・

ねぇ・・・・、
もしわたしが・・・・」


……プレイされた方なら、ビクトールもオデッサも人を見抜く眼があるキャラにしか見えません。
人生経験豊富というか先見の明があるというか。

先程、「求心力」という単語を使いましたが、このオデッサの台詞を聞くと、ついその言葉がよぎってしまうのです。
あくまでゲームだから許されますが、特に幻想水滸伝Ⅰは人の命が軽く、味方キャラだろうとポンポン死んでしまいます。



じゃんけんのような三すくみの戦争イベントがありますが、レパントの妻のアイリーンなんてしょっちゅう死ぬ印象があります。
怖くて魔法や突撃コマンドは、決め打ちできないです。

そんな残酷な現実に、人の命を巻き込む「罪の重さ」とそれを上回る「生き甲斐」を生み出すには、「人を惹きつける力」が必要なのだとオデッサは感じているのだと思います。
決して、「殉死=尊い」ということを伝えたいのではありません。

「見て見ぬふり」をして、心を殺していく生き方よりも「何が何でもこれだけはやりたい。やり続けたい」という「意志」のある人生の方が、価値があるのではないかと伝えたいのです。


無事に、帝国への切り札「火炎槍」の依頼を済ませた坊ちゃん一行。
しかし、解放軍の秘密基地は、帝国軍に待ち伏せされていて……




グレミオ
『オデッサさん! 血が、』

ビクトール
『オデッサ!!
なんでこんなことをした。
おまえがいなくなったら解放軍は・・・」

オデッサ
『ご・・ごめんなさい ビクトール・・・

どうやら・・わたしは・・
解放軍の・・リーダーとしての自分より・・
 
一人の女としての・・自分を・・
え・・えらんでしまったようね・・・

わたしには・・・あの子を・・
見殺しにすることが・・できなかった。

リーダーとしては・・・しっかくね・・・」




……帝国兵の凶刃に倒れるオデッサ。
主人公に二つのお願いをした後に、こう告げます。

『わたしが死んだことが・・
わかれば・・
めばえたばかりの・・・解放運動は・・

またたくまに・・・消滅して・・しまいます
だから・・わたしが死んだことは・・・
かくさなければ・・・ならないの・・・

かすかに・・・生まれた「希望」を・・・
消すわけには・・
・・・・・・いかないのです』

『よく見て・・・ティエル・・
これは血よ・・・
わたしの血・・・

でもね・・帝国の政治のもとで・・・
もっと・・・多くの血が・・・
流されているの・・・あなたは・・・
・・それを知らないのよ・・・

それを・・とめなくてはいけない・・・
わたしが死んでも・・・その「意志」が・・
残れば・・・

わたしは・・・
わたしの命に・・
流された血に・・・
ほこりを持つことが・・できるわ・・・』



……書いていて身が引き締まります。

あくまで、私の主観ですが、たった一人の子供を見殺しにしなかったオデッサは、リーダーとしての行動として正しいかは別として、一人の人間としてとても尊いと思います。

自分の生き様を通して、どうしても伝えたい思いを託すこと、それこそが一人の人間のできる精一杯なのではないかと私は思います。
流された血への誇り=シルバーバーグ家の誇りなのだと思います。



よくお師匠様は「垂訓」という言葉を私に使っています。

初めて会った時に言われた言葉を今でも思い出します。
「自分の『エキス』を教える」

私言語ですが、濃縮した凝縮した「ドリップ」のような思いと教えを私は沢山教えてもらい、学ばせて頂きました。
一つひとつが、細胞に刻み込まれているかのようです。

教訓や哲学、ジャンルは色々あれど、「こう人は生きる『べき』だ」ではない「こう人は生きる『方が良い』のではないか?」という先人達の偉大な生き様が沢山詰まった思いこそが、私は「垂訓」なのだと思います。
「思いと気づきと意志の継承」それこそが人類の本当の歴史なのだと私は思います。



幻想水滸伝の話に戻りますが、幻想水滸伝Ⅱのキャッチフレーズですが私の大好きなフレーズがあります。
「その強さがあれば 全てを守れると思った」

大切な人を亡くすたびに、人間的にも解放軍の活動としても強くなっていく坊ちゃんは私の憧れです。
坊ちゃんはオデッサに憧れ、そんなオデッサをソウルイーターを駆使しても守れなかった後悔と大失敗、悔恨に近い思いを抱いても前に進み続けた純粋性が私は大好きです。

だからこそ、多くの人を惹きつけまとめたリーダーになれたのだと思います。

続きます。

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