良い影響も大変悪い影響も受けたので、一度には語りつくせないと思うので、まずは大まかに語らせて頂きます。
自分の家庭環境の背景で言えば、ゲームは禁止中の禁止事項でした。
マリオなどのアドベンチャー、スト2などの格闘ゲームが小学生の頃は好きでしたが、受験と共に禁止されました。
やりたくもない勉強を強いられ、ワンルーム4畳半でミカン箱の上で勉強をするのがたまらなく苦痛でした。
周りは一軒家に住み、自分の部屋で最新のゲームを好きなだけプレイできる……劣等感とは違いますが、自分言語ですが「環境差別」が原因で歪み始めたような気がします。
母親が倒れ、生活保護を受けられるようになってから、何故かゲーム禁止令がとかれ、憑りつかれたようにゲームをしました。
一つの事に病気のように憑りつかれる性質や視野が狭い部分は、この頃から培われたような気がします。
ゲームで忘れられない話があります。
その頃は、スクウェアのファイナルファンタジー(FF)が全盛期で、ゲームをやる家庭だったら誰もがプレイしたことがあるんじゃないか?と思うほど、大人気の作品です。
FFは「仲間を集めて世界を救う」という一貫したテーマがあるのですが、FF6の頃から急に暗い話が多くなりました。
FF7の主人公は見た目こそクールでかっこいいですが、精神的に破綻している部分が多くあります。
その主人公クラウドの口癖は「興味ないね」です。
ある時、義理の父が「妹が子供が出来たら一緒に遊びに行こう」と言ってくれたのですが、自分は「興味ない」と返しました。
後にも先にも、あんなに悲しそうな義理の父は見たことありませんでした。
(あ!悪いことした)とは思ったのですが、素直に謝ることはできませんでした。
アニメとも共通していますが、特にゲームは「奇抜さと特別さ」が求められます。
97年頃から、エヴァやFF7、DQ5に代表されるように、暗い世相と暗いストーリーが多く出回りました。
明るく情熱的な性格は「暑苦しい」と嫌われ、クールでさめた性格は「かっこいい」ともてはやされるようになり始めました。
価値観の逆転を促すことで、子供が影響力のある大人にならないよう世相による躾けが促されていたと思います。
家庭環境の辛さも相成って、投げやりでドライな性格が形成されたと思います。
悪い事ばかり書きましたが、良い部分もあります。
格闘ゲーム用語である「最適化」は、2000年代頃から普及し始め、ワンアクションをするための最適な行動は、ゲーマー達の常識となり始めました。
理想的で最適な行動を追求する性質は、ゲームのお蔭で強化されたと思います。
また、縛りプレイやとんでもプレイは好きだったので、信長の野望でひたすら敵対国の大名に煙草をプレゼントして健康を悪くさせたり、忍者を数百人くらい雇って諜報活動と内部工作をして、一度も戦わずに天下統一プレイはとても楽しい思い出です。
どんなことでもとことん憑りつかれてやることで、奇想天外な発想がわき攻略法が見つかる。
「ほどほど」の重要性。
ゲームをやり過ぎると、頭が変に育ちすぎて身体を動かす神経が鍛えられなくなる。
これから先もゲームは、人類にとって避けては通れないジャンルなので、悪意のない大人達が上手に子供を導いて、頭の使い方を教えつつ一つの事に没頭するには、ゲームは良い題材だと思います。
勿論、身体を動かしたり何かを作ったりする遊びも必須です。
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