2018年7月3日火曜日

幽遊白書の影響を考察と分析。変わらない立場と優しさ

今回はテレビアニメ再放送化が決まった幽遊白書の影響を考察と分析してみます。

頭の中にあるアニメや漫画の「幽遊白書」を思い描き、テーマを見つけてみます。
書いている段階では、「テーマが未定」という書き手としてはタブーなやり方です。

幽遊白書キャラクターの海藤優の能力ですね、タブーは。
「いまのうちに『い』を いっぱいいっておいたほうがいいんでないかい」

この頃の富樫作品は、遊び心に溢れていて私は好きです。
意味もなく、桑原和真の「帝京高校サヨナラツーラン剣」と友達と遊んでいた時に、幽白ごっこをしていたと思います。

ハンターハンターも勿論大好きですが、難しいセリフ回しを多用し、休載を連発する……「難しさ」よりも「単純さ」が詰まった幽遊白書が私は大好きです。
ハンターには「鼻が通天閣打法」とかの面白さがないんだもん。


より良いテーマを見つけられるよう記事を作成していくので、私の旅におつきあいくださいませ。



……子供の頃、一番ハマったアニメは、ドラゴンボールではなく幽遊白書でした。
私の友人や知人はよく知っていますが、「私とアニメ=幽遊白書」なくらい大好きな作品です。
マイフェイバリットって奴です。

アニメ化された頃は、中学受験に備えて、塾通いをしていたので、土曜日に週一回の幽遊白書を見るのが一番の楽しみでした。



エピソードを語る前に、アニメの幽遊白書の魅力を語らせて頂きます。

「微笑みの爆弾」「アンバランスなkissをして」「デイドリームジェネレーション」を筆頭に、主題歌がとにかくオシャレ。
対象年齢は子供向けなはずなのに、やたらとアダルトな要素がてんこ盛りです。

『どっちだろう 泣きたくなる場所は 二つマルをつけて ちょっぴり大人さ』
『糸が切れるように ただ君を君を強く 抱いてた』
『目を開けてみる夢なら 今は切なくてもいい』

代表的な幽遊白書の歌詞を三つとも抜粋したのですが、全然子供向けじゃないですね。
歌詞の考察と分析は、他にも良い記事があると思うので、割愛させて頂きます。

トップ画の映像は↓こちら↓です。
30秒付近に注目してみてください。



あんなに明るい幽助の悲しそうな表情が見れます。
そんな悲しみをいつまでも抱きしめ続け、おくびにも出さない幽助の強さに私は憧れました。

義理の父はいましたが、私も片親で母を泣かせる姿を見るのが、一番嫌だったからです。
母が悲しまないように、いつも「母にとっての理想の子」を演じていました。



記事の論点が見つかり始めたのですが、「アニメ幽遊白書は切なさ」が表現された作品です。
暫定的にこのテーマで、考察と分析をしてみます。


例を挙げると、主人公の浦飯幽助を考察と分析するとわかりやすいです。
書くべきテーマも決まりました。

「アニメ幽遊白書の影響を考察と分析。変わらない立場」
です。



浦飯幽助は中学生にして超不良(漫画内の表現)になり、片親の母や幼馴染の蛍子をいつも困らせていました。
一話目にして、そんな「超不良」が「ボール遊びをしていた子供を助けた拍子で死んでしまう」しかも「助けなくても結局助かっていた」という展開です。

無駄死にです。

バトル漫画、バトルアニメにシフトチェンジしていくまでは、霊体のまま色々なエピソードを繰り広げられるのですが、割愛してはいけない大事な部分です。
よく「幽遊白書は暗黒武闘会から面白くなる」との声を聞きますが、あくまでバトル漫画ならその通りだと思います。



いち大ファンの私の捉え方ですが、幽遊白書を語る上では、霊界探偵編は避けては通れないテーマです。

紆余曲折あり、無事に生まれた浦飯幽助は「霊界探偵」になります。
「超不良」から「霊界探偵」になるのです。

そして、腐れ縁の桑原和真、冷酷冷徹から人の愛を知った蔵馬、生き別れの妹を探すために修羅の道を歩む妖怪の飛影と大冒険を繰り広げます。
皆、浦飯幽助の魅力に吸い寄せられるように、仲間になり試練と共に絆を育んでいきます。



妖怪や人間からも畏れられる師匠の玄海に弟子入りした当たりから、物語は加速していきます。
人に頭を下げるのが大嫌いな「超不良」が、嫌々ながらも弟子入りするのです。
そして、心から頭を下げられる人間になります。



玄海と恋人未満親友以上の戸愚呂弟の幽助への影響はとても大きいです。
大きすぎるほどの第一のライバルです。

足がすくむほどの恐怖。
圧倒的なまでの絶対的な力の差。

「超不良」だった頃には、経験することのなかった「人間と妖怪の差」を思い知らされます。
修行嫌い、努力や積み上げるものを拒否し続けてきた「超不良」が「霊界探偵」へ転換された瞬間です。



あくまで、私の見解ですが、「泣いたり苦しんでいる人間がほっとけない。もっと強くなりたい……桑原達を、蛍子を…蛍子だけは守れるくらい強くなりたい!」
そんな動機なような気がします。
幽助は単純ですから。




暗黒武闘会決勝戦前に、玄海師匠と死別を経験。
お互いの100パーセントと100パーセントを超えた強さがぶつかり合うバトルアニメ屈指の名シーンが連発します。

「誰かのための強さ」それをいつまでも忘れない浦飯幽助という「人間」に、私という子供は強くあこがれたのだと思います。



脱線すると、私は美しい魔闘家鈴木が大好きです。
だって、戸愚呂弟に憧れた強い妖戦士田中だったんだもん。
富樫節が大発揮されているネーミングセンスが最高です。

暗黒武闘会は語りたい試合が多すぎるので、論点からズレるので、お話を進めます。



そして、第二のライバル「仙水忍」が登場します。
今までは「力」と「力」の純粋な戦いが繰り広げられていたのですが、搦め手を多用する「能力者」達との闘いにチェンジしていきます。

幽助みたいな強化系は、「条件」次第で完封されてしまうことを伝えたかったのだと思います。
領域(テリトリー)と呼ばれる「能力者」達とのバトルは、ハンターハンターの「念能力バトル」の先駆けのような魅力があります。

勿論、ハンターハンターはバトル漫画として完成度はとても高い作品だと思います。
ただ、幽遊白書世代な私は、粗削りながらも能力と能力がぶつかり合う幽遊白書の方が魅力を感じてしまうのです。



仙水忍は霊界探偵の先輩です。
「幽助のあり得た未来」かもしれません。



悪を嫌い、正義を好み、弱い者の盾になることを率先する……「理想」のような人間でした。
ある日、価値観が逆転してしまいます。

守るべき対象だった人間こそが「悪」なのではないか?
人間は滅ぶべき対象だ。

完璧主義者だった仙水忍は、自分の「汚い部分」を許せず、人格を七つに分けていきます。
人間に幻滅してしまうのです。
自分が人間なのを許せなくなってしまうのです。

そして、本来の自分は常に「隠す」ようになります。
自分を他人に見せられなくなってしまうのです。


『これだから真面目な奴はタチが悪いよな、極端から極端に走りやがる』
(浦飯幽助台詞抜粋)

物事の本質を見抜く目を持った富樫さんの分身とも言える浦飯幽助が呟きます。
そんな幽助だから、敵だったライバル達が当たり前のように幽助と遊ぶのを楽しんでいる幽遊白書ならではの光景もたびたび見れます。
何がいいって、本当に皆が楽しそうな顔をしているのがいいんです。

そして、仙水忍に浦飯幽助は殺されます。
二度目の死です。

事故死ではなく、初めて他者に命を奪われてしまうのです。
勿論後付けではあるでしょうが、幽助は「魔族」へ生まれ変わります。

幽助は他者の生死を容易く操り、破壊することが出来る「闘神の息子」だったのです。



『人は自分の気分次第で壊せるものをそれぞれ持ってる
おもちゃだったり ペットだったり 恋人だったり 家庭だったり 国だったりする
お前はそれが人よりデカい それだけだ
壊したくなったら その前にここに来な まず あたしの命をくれてやる』
(玄海師匠の名言から)

……誰でも判断を間違え、感情を暴走してしまう瞬間はあると思います。
そんな時にこそ、「立場による壊せるものの大きさ」を意識することが大切に思えます。

そして、「道を踏み外さないための師匠」の存在の大きさを思い知らされます。
学べど学べど、師の大きさと偉大さばかり思い知らされます。




……必要なエビデンスは揃ったと思うので、考察と分析をしていきます。
幽助は「人間=超不良」から「人間を妖怪から守る=霊界探偵」になり、力及ばず殺され「妖怪=闘神の息子」に変化していきます。
何が言いたいのかというと「立場」がどんどん変化していくのです。

それでも「幽助は変わりません」でした。
差別表現ではなく、馬鹿で無鉄砲でいつもふざけていて、フェアな戦いを望む弱い者の味方なままでした。

ここにこそ、幽遊白書の魅力が詰まっていると言っても過言ではありません。



私達の実生活でみていきましょう。

親の前では「実家の居場所が無くならないように、親と接する用の顔と表現」を使い、
上司の前では「会社のポジションが無くならないように、上司と接する用の顔と表現」を使い、
SNSでは「SNS上の自分のポジションを確立するように、抑え込んでいた要素を解放」しています。

このままでは「建て前」で「本音」が押しつぶされてしまう……そんな人が、心と体を壊してしまうんだなと実感しています。


浦飯幽助は、「人間でなくなり」「超不良でもなくなり」「霊界探偵でもなくなり」「妖怪になっても大切な『人間の心』をなくさない」ままでした。

いついかなる時も、幽助は幽助のままでした。
ここに浦飯幽助の魅力が詰まっているのです。

私達はついつい、見返りを求め、立場に応じた顔と反応をしてしまいます。
「建て前」ばかりを優先し、「本音」を出せる場所を探し求め、SNSを活用しているのだと思います。



私は子供の頃から、たまらなく浦飯幽助に憧れていました。

いつでも真っ直ぐ。
いつでも仲間を思い。
いつでも最愛の人を案じ。

いつでも敵と仲間の垣根のない「浦飯幽助ワールド」を全開にしていました。
いつでも幽助の周りには、自然な笑顔が溢れていました。

そんな幽助に影響され、皆が切磋琢磨し、S級妖怪クラスへ変貌を遂げました。
誰もが魅力の溢れるキャラクター達ばかりです。

そんな憧れた世界を現実に生きたかったのです。



きっと、私は浦飯幽助になりたかったのだと思います。
「憧れ」だと思います。

そして今は、「自分を生きる」ことを誓っています。
もう「演技」をする人生と決別をしたからです。
「自分という人間をただ生きたい」のです。

あの日憧れた「自分の理想像」になれるよう「自分の現実」を重視し、日々精進を怠らないように心がけています。

そんな大切なことを気づけた幽遊白書という漫画・アニメは、今も変わらない私の一番大好きな作品です。

立場で変わらない、変わらない立場こそが「優しさ」の原点だと確信しています。

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