2018年8月8日水曜日

勝負を考察と分析。哲也と房州。誠意という王道の生き方

今回は人生を生きていくために、目を逸らしてはいけない現実=「勝負」について考察と分析をしてみます。
「弱肉強食」や「生き馬の目を抜く」という言葉に代表されるように、勝ち負けは人生につきまとってしまうものです。

私は経済的にも社会的にも成功者ではないので、本質からズレた表現や見解も出てくると思いますが、失敗=勝利と成功への途中という認識で記事を作成してみます。

スポーツとギャンブルどちらにしようか迷いましたが、よりドロドロした「ギャンブル」の世界を尊敬する阿佐田哲也さんの「雀聖と呼ばれた男~哲也~」や著書に書かれている名言を中心に作成してみます。


今回のテーマは「怠惰を好み勤勉に行き着く」です。


まずは簡単なエピソードから。
義理の父親が大のギャンブル好きというのもあり、ギャンブルは身近な存在でした。

とんでもない話ですが、私が5歳くらいの時にはもう、地方競馬を連れに行ったりしていました。
初めて行ったときに、私の「何となく」予想した馬券が大当たりし、義理の父親が大喜びした光景は忘れられません。

そして、満面の笑みで食べさせてくれた馬券場のじゃがバター。
私はポテトやお芋が大好きな傾向があるのですが、この小さな成功体験が影響しているのではないかと最近になって気づきました。



同様に、私が小学校高学年の時に、義理の父親が得意げに薦めてくれた漫画があります。
その漫画こそが、直木賞作家で終戦後の激動の日本を生き抜いた伝説の博徒「雀聖 阿佐田哲也」さんをモチーフにした「哲也~雀聖と呼ばれた男~」です。

アニメのオープニング曲和田アキ子さんの「REACH OUT」を聴きながらこの記事を書いています。
沢山の辛い現実がありましたが、子供ながらに「生き抜くための方法」を模索していたんだと思います。


忘れられないシーンがあります。

主人公の黒シャツ、坊や哲こと哲也(哲さん)がまだひよっこだった頃、人格形成と勝つために必要なことを教わった房州さんというキャラが出てきます。
この頃の哲さんは、「セオリー」や「当たり前」を重視した小利口な麻雀で小銭を稼ぐようなレベルでした。

既に偉大な博打うちとして大成していた房州さんに勝負を挑んだものの返り討ちにあい、「自分に何が足りないのか?」を模索していた状況です。


『雨の日、ガード下で休んでいると、傘を差した子供が走って来ました。
見ると、手には卵を抱えています。

房州さんはちょっと意地悪に、こういいました。
「その卵、立てられたら十円やるよ」
この子供は試してみますが、やはり卵は立ちません。



「おじさん、卵なんて立つわけないよ」
そこで房州さんは、「セオリー」、「当たり前」、「普通」を“力”でぶち破ります』
「頭かてえよ 房州さん」より抜粋)



……見る度にハッとさせられます。
これこそが「コロンブスの卵」の伝えたい部分なんだと思います。

誰しも「誰かが唱えた法則」や「誰かが言った言葉」を「セオリーや当たり前」として指針にしがちなように感じます。
当時の私の人生は、問題が山積みで雪だるま式だったので、とっても救われた気がしました。




同様に、アニメや単行本の一話に登場する哲也のプチ師匠のような先輩の言葉も勉強になりました。

『あがれなくてもいいんだよ
よちよち歩きのくせに 小技を使う奴は 運をなくす
自分で自分の運を悪くするだけだ』


その後、哲也は丸三通運という運送会社で働き始めます。
しかし、終戦直後の厳しい現実が、哲さんを襲います。

哲也 「・・・・何だよこれっぽっちかよ
これじゃ・・・・一か月の食い扶持にもなりゃしねえ

くそっ、やってらんねえぞ、ちきしょう!! くそったれ!!」

(カタギの暮らしなんてカモられてるも同然じゃねえかよ!
学校も行けねえ働いてもダメ金もねえ
このままじゃ俺も負け犬だ!!)



そして、博打に出会います……
そして、悟るのです。
綺麗事で終わらせてはいけない「本当の現実」だと私は実感しています。



(戦争が終わって平和だ何だとぬかしやがっても、その実、何も変わっちゃいねえ。
強い者が弱い者を喰い尽くす―――そういうことだろ。
負けたくねえ・・・・)

しかし、厳しい現実がまた襲い掛かります。



(残りは拾円、負ければ文無し。
拾円ばっか持って帰ってもパン三つしか買えねえんだ。

次の給料日までどうやって生きてくんだよ。

・・・・勝ちてえ。
どの札に張ったら勝てるんだ?)

……壊滅的な状況でも「勝つ方法」を諦めない哲也さん。
哲也の脳裏に「あの言葉」が蘇ります。

『あがれなくてもいいんだよ
よちよち歩きのくせに 小技を使う奴は 運をなくす

自分で自分の運を悪くするだけだ』
「漫画喫茶気分」より加筆修正)



……続きは参考サイトのリンクを読まれるか、実際に単行本やアニメを見られることをお勧めします。
アニメにしろ漫画にしろ、ひりつくような緊張感と心臓の鼓動をさえ、相手に聞かれたくない独特な「プレッシャー」の世界を覗き見るのに良いと思います。

まだ考察と分析を終えていませんが、「テクニック(小技)の弊害を考察と分析」で書いていければと思います。
書こうとした理由は、お師匠様から今日教わったホカホカの内容が起因しているからです。


『悪いものに影響されない人生を過ごすには『環境と保障』が最重要。
人間は生存本能と現状維持機能があるから、おぼれた(人生の大ピンチ)時に藁をも掴む生き方をするのか沈まない浮き輪を掴むのか……後者が大事だ』
という話をしてきたからです。

翻訳という意味で、アレンジではないより伝わりやすい表現をとらせて頂いたことをこの記事を借りて、お伝えさせて頂きます。



何が言いたいのか、伝えたいのかというと、
「どんな人間でも情報や状況に振り回されてしまう。
トラブルやピンチを引き起こさないためには、より正しい情報の選別と判断力を磨く」
この二点につきます。



パニックと桃源郷の境目をジェットコースターのように行き来するギャンブルは最適だと思い、「雀聖=阿佐田哲也」さんの記事を書くことにしました。

ナルコレプシーという病気を患ってしまい、それでも人生をかけて学んだ『大切な何か=確信』を著書として後世へ残して頂けた哲さんに、物書きの端くれとして「記事=感謝」という形で残したかったからです。

一文だけ余談ですが、博打うちで直木賞という阿佐田哲也さんの生き方は「怠惰を好み勤勉に行き着く=ウサメンロード」の真髄を体現されている方だからです。



『イカサマってのは 相手にバレて初めて イカサマになるんだ。
バレなきゃ勝つための一つの手段。
つかんだ運を逃さないための技なんだよ』



……哲也のライバル、印南の名言です。
私の母親はこの印南が好きで、わざわざ印南が出てくる単行本だけ集めていました。
息子の私から見ても、とても変わっていると思います。

エピソードはさておき、どこを論点にするかで印象がまるで変わる言葉だと思います。
あくまで私はですが、決してズルやイカサマを推奨しません。


幽遊白書の桑原が言ってましたが、
「キタネェ奴らにも筋通して勝つからかっこいいんじゃねーか? 大将」

これこそが「王道」と呼ぶべき、ブレてはいけない人生の基本フォームだなと思うからです。
ただし、社会は抜け道、イカサマ、ズルのオンパレードです。

不正、替え玉受験、隠ぺい、コネ入社……未だに蔓延る数々の事実こそが、一番のエビデンスだと思います。

だからこそ、堂々とイカサマやズルを当たり前のように使い続ける「社会」を逞しく生き抜くための「基本フォーム作り」こそが最重要だと思います。
「何が何でも勝つ=テクニックという技術」ではない「負けないための強さ=普遍的な真理」こそが、生きるための基本フォームだと私は確信しています。



そして、騙し騙される世界を生き抜いた阿佐田哲也さんはこんなに素晴らしい名言と気づきを伝えています。

『なにもかもうまくいくわけじゃないんだから、なにもかもうまくいかせようとするのは、技術的にはまちがった考え方だ』

『博打打ちというものは、例外なしに、勝ちこんでいくことによって、人格を破産させていくのである』

『誰もが自分は特別な人間だと思うもの。
それが自分だけは勝てるという慢心に繋がりかねません』

『優等生ってやつは、どうしても全勝意識にとらわれるから、フォームが固くなるんだ。
身体を楽にすることだね』

『人間は楽をしようとすると、どうしたら楽が出来るか考え、その方法を学ばなければならない』
阿佐田哲也勝負語録―ここ一番に強くなる (サンマーク文庫)などから抜粋)

……ブログのオチに使いたい名言の前に、まずこの五つを抜粋させて頂きました。
哲也さんの偉大な師匠がこんな言葉を残しているからです。


バーのママ『ばくち打ちってのは楽して大金を稼ごうって人種だろ。
でもそのわりにはやけに勤勉じゃない』



房州さん『怠惰を求めて勤勉に行き着くか・・・』

この房州さんの言葉こそが、避けては通れない人間の本質だと私は確信しています。



最後に、房州さんに学んだ阿佐田哲也さんの「人生のフォーム」についての名言を記載させて頂きます。


『まず、誠意だ。
これが正攻法だ。

誠意や優しさや一本気な善意がスケールにつながるんだ。
だから、人格形成期に、まずスケールを大きくしていくことを考えよう』

『プロはフォームが最重要なんだ。
フォームというのはね、今日まで自分が、これを守ってきたからメシが食えてきた、そのどうしても守らなければならない核のことだな』

……他者を騙し、蹴落とし、破滅させることで飯を喰ってきた「雀聖」と呼ばれた人間が、「作家」として伝えた名言です。

お師匠様から学んだ「大切な人を大切にする」と「大切な人が大事にしている物を大事にする」この二つこそが、私にとっての「誠意」です。
他にも、「スピードは誠意」など「誠意」については書き足りないですが、またの記事をお楽しみにです。




「誠意=王道」を武器にしてきた阿佐田哲也さんは、こんな名言も残しています。
後述しますが、お師匠様も阿佐田哲也さんの名言を知らないと思われますが、同様の言葉を残しています。

『十回勝負すると素人は六勝四敗を狙う。
玄人は極端に言えば一勝九敗でも勝つように張る(阿佐田哲也 )』


「人生は九十九敗一勝でいい。
沢山失敗を繰り返して、最後に一勝出来るように改善を繰り返すのが重要」

……この「負け=失敗から学ぶ」ことが人生を生き抜くための心の御馳走だと私は確信しています。

「誠意を最大の武器に沢山の失敗を繰り返して、成功の方法を学ぶ」

これこそが、雀聖=阿佐田哲也さんの師匠の房州さんが残した
『怠惰を求めて勤勉に行き着く』
の境地なのだと思います。



私はとても怠け者で、人生を楽に生きる事ばっかりずーっと考えていましたから。
そんな私でも、安易な脳内物質の快楽よりも「勤勉」という快感を好むようになれました。

「怠惰を求めて勤勉に行き着く」
学び続ける姿勢を忘れずに、人生を歩み続ける。

これこそが、阿佐田哲也さんが伝えたかったはずの「人生の勝利者」のための極意なのだと思います。

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