2018年7月1日日曜日

格ゲーの影響を考察と分析。脳の奴隷から人生の最適化へ

前回に続いて、格闘ゲームで学んだ「最適化」の重要性をエピソード形式で考察と分析をしていきます。
今回の論点は「脳の奴隷から人生を最適化させるにはどうすればいいか?」です。



気がつくと「コマンドの入力」で手一杯だった私の「意識」は、「勝つためには『立ち回り』こそが最重要。『最適な距離感を維持する』ためにはどうすればいい?」
という風に変化を遂げていました。

その頃には、当たり前のように「ボディが!がら空き!だぜ!」は出来るようになっており、ダメージ効率やコンボ効率も意識し、「ボディが…お留守!だぜ!」「ボディが甘いぜ!」を使い分け、相手がガードをしづらいように、わざと途中で止めたり、タイミングをずらしたりするようになっていました。

他のキャラもある程度思い通り動かせるようになり、「何となく」好きじゃなかったキャラも使い込むうちに上達し、「私の持ちキャラって、コレかも」になっていました。
狙って当たる「ボディが!がら空き!だぜ!」は、私の脳へ莫大な快感を生み出していました。

そして、ゲームセンターという戦場へも繰り出せるようになり、最初こそはスティック操作に手間取るものの家庭コントローラーと大差がない操作が出来るようになっていました。
私の脳は快感に満たされていました。



しかし、ある時から格闘ゲームに「苦痛」を覚えるようになりました。
格闘ゲームの技量だけで見た場合、明らかな格下がムキになって、連コイン(勝つまで挑戦)されると、「どうでもいい」という感情が強く芽生えてしまっていたのです。
とても生意気な表現だと思います。
飾らない……改善しなければいけない自分の一部です。

あくまで私の個性ですが、そこまで連勝記録にこだわりはなく、ただひたすら「俺より強い奴に会いに行く」(ストリートファイターⅡの有名な宣伝広告)のように、ほぼ同ランクや格上に対して「勝ち」を積み上げたかったのです。
「価値のある勝ちにしか興味がなかった」のです。




気がつくと、わざと負けることに快感を得るようになっていました。
それもいかに相手にバレないように、上手に負けるかのテクニックに磨きをかけるようになりました。

「手を抜くこと」「波風を立てないこと」が私の「最適化」になってしまっていたのです。
「人生の最適化」からはかけ離れていきました。




2000年代からだったと思いますが、格闘ゲームも研究が進み、ダイヤグラム(キャラ同士の相性。勝率表)含め、ますます技術が磨かれていきました。

PCも普及するようになり、大会トーナメント常連クラスの猛者達は、想像もしないコンボや「その場面で、そんな『組み立て方』をするんだ」といった芸術のようなプレイに動画という形で触れられるようになりました。

そして、この言葉がいつしか流行り始め、私も意識するようになりました。
「どうすれば『最適化』できる?」



……エピソードという前置きが長くなりましたが、私にとってもきっと人類にとっても大きな言葉だと思います。
「行動が『最適化』されるにはどうすればいい?」

私が格闘ゲームの魅力、感謝を伝えるとするならば、この言葉に尽きます。



負の側面で見てみます。
ゲームも格闘ゲームも「人生の最適化」で見れば、悪影響は多々ありました。

何と言っても、「ボタンを押すだけで快感を得られるシステム」そのものがよくありません。
ゲーム最大の悪影響と言っても過言ではありません。

別の記事でエビデンス(根拠)は書いているので、あくまでこの記事は割愛させて頂きますが、「脳はとても怠け者で、不快をこよなく嫌い、快感をこよなく愛しています」
言ってしまえば、私はゲームが多分に影響して、「脳の奴隷」に出来上がってしまったのです。


もう一ついきます。
「誰かが決めたシナリオ、システムだけを極める」
これもゲームならではの大きな悪影響です。

自分がゼロから組み立てていく能力ではなく、決まった何かを上手に使いこなすシステムばかりが磨かれてしまいました。


アルノサージュというゲームにわかりやすい比喩が出ているので、そのまま使わせて頂きます。
『ハードウェアに強いタイプではなく、ソフトウェアに強いタイプ』
(アルノサージュ 人物図鑑 サーリ項目より抜粋)

私はシステムエンジニアではないので、間違った表現もあるかと思いますが、「ゼロからシステムを構築できる能力」よりも「誰かが作ったシステムを最大限に活用する能力」ばかりが上達してしまいました。
現在の私の課題であり、お師匠様に色々な表現で指導している部分です。

誰かが作った「ソフト」を攻略する思考や分析方法「1を拡大していく」ことは磨かれましたが、「0を1にする=何かを生み出し、システムを創る」能力が欠損したまま、大人になってしまいました。

これは誰かが声を大にして、伝えなければいけない大きな問題だと私は考察と分析をしています。




その結果、「会社での労働」をこよなく嫌う人間が出来上がってしまいました。
悲しいことに「指でキャラクターを動かす能力」は上達したのに、「自分の身体を最適化した動かし方、喋り方」を磨くことを怠ってしまったのです。

脳は叫びます。
「早くゲームをやらせろ! あのゲームはもう飽きた! 新しいゲームをやらせろ! 今の自分ならあのゲームをもっと極められる。だから、やらせろ!」
いつでもどんな時でも、「逃げ道」のようにゲームは私の側にいました。


いつからか、ゲームをしている自分そのものがたまらなく嫌になりました。
そして、私はあんなに愛していたゲームソフト達を安値で売り払いました。

まるで、あんなに可愛がった自分の息子や娘達が安値で売り買いされる……そんな気分と言っても差し支えがありませんでした。


多少、自分を美化しているかもしれません。
ただ、「ゲームの行動を最適化する道」よりも「自分の人生の最適化をする道」を選びたかったのです。



……今回はエビデンスよりもエピソードを優先して文章を作成しました。
書いていて感謝が湧いてしまうのですが、流れるように思った言葉を思った通りに記すことが出来るのです。

余談ですが、もう一人のお師様に、「文章書いている姿がピアニストみたい」と言われたのですが、このことを言っているんだと思います。


それもこれも「格闘ゲームでいかに『最適化』するか?」に情熱と時間を捧げるだけ捧げた結果、指の動かし方が上達したからといっても過言ではありません。

格闘ゲームで言えば、どんなキャラでも長所や短所、「癖」というものがあります。

だからこそ、自分の長所と短所を徹底的に「感情」を交えず、データのように分析し、最適な動かし方を日々実践することが出来れば、人生の操縦が上達すると私は確信しています。



『最適化』
その言葉に出会えたことに、私は感謝をぬぐえません。

人生も社会も国も世界も一人ひとりの人間も……誰もが最適化を意識し実践することが出来れば、より良い未来が待っていると確信しています。

これこそが「自分の治し方が社会の直し方」ではないでしょうか?

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