今回はアインシュタインさんの名言を考察と分析してみます。
「現代物理学の父」と称されたり、「20世紀最大の物理学者」と呼ばれたり、天才の代名詞と言っても過言ではありません。
この前、青髭の記事を書いたというのもあり、「好奇心」を中心にまとめてみたいと思います。
少しでもアインシュタインさんの名言に価値が生まれるように、エピソードも盛り込んでみたいと思います。
『私には特別な才能などありません。
ただ、ものすごく好奇心が強いだけです。』
『大切なのは、疑問を持ち続けることだ。
神聖な好奇心を失ってはならない。』
『正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ』
……アインシュタインさんの名言は数多く存在しますが、「好奇心」の重要性をたびたび伝えています。
とてもタメになる記事を見つけたので、エピソードも合わせて記載します。
『今では知らない人がいないほど有名な物理学者ですが、実は定職のない時期もありましたし、友人のコネで役所に勤めていた時期もありました。
「燃えるような好奇心」を十分に満たせる働き方にたどり着くまでには10年弱を要しています』
『アインシュタインは子どものころから社会に適応できないような部分があって、生まれ故郷のドイツでは大学予備校のようなギムナジウムも中退しています。
17歳で入学したチューリッヒ工科大学でも、教授がわかりやすく説明する講義は自分にとって無意味だと考えて、授業には出ず、喫茶店で本を読んで一人で最先端の理論を勉強したりしています。
出席率は非常に悪く、教授の教えも無視するため、指導陣からの受けは良くありませんでした』
『大学を卒業してすぐ、アインシュタインは職を求めてドイツ中の科学者たちに手紙や論文を送っています。
ただ、反応は全くありませんでした。
やむなく家庭教師や工業専門学校で数学を教える代用教員、成績の良くない高校生に数学を教える臨時教員を務め、食いぶちをなんとかつないでいます』
(「アインシュタインの成功は、複業と「自分らしさ」の追求の上にあり」より抜粋)
……私自身が社会不適合な部分が多分にあるので、とても元気をもらえるエピソードです。
学校にしろ、会社にしろ、型にはめられる教え方だとどうも馴染まないのです。
わかっていることを何度も教えられたり、わからないことを飛ばされたりすると、納得できるまでの理解に苦しんでしまった経験があります。
学校教育についてはエジソンもこんなことを述べています。
『私は正規の教育を受けられなかった。
学歴はゼロなんです。
だから、発明家として成功したのでしょう。』
(インクワイアリー「アインシュタイン」より抜粋)
『たとえ国家が要求しても良心に反することをしてはいけない』
『愛は、義務より良い教師である』
『学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。
自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる』
『教育の目的は、「社会が直面する最重要課題の解決」に力を尽くすために、自ら考え行動できる人間を育てることでなければならない』
『ほとんどの教師が、生徒に知らないことを発見させようと質問ばかりして、時間を無駄にしている。
知っていることに気づかせること、知るための方法に気づかせることを目的とするのが、意味のある質問であり、本当の教育だ』
……アインシュタインさんの一貫したメッセージが伝わりやすいように、名言を多めに記事にしています。
最後の名言で「本当の教育」について、一つの見解が述べられていますが、私も同感です。
教育の目的があるとするならば、私の見解ですが「理解」こそが重要だと思っています。
足し算にしても難しい漢字にしても、方程式にしても……理解しなければ、ないのと一緒ですから。
掃除の記事で「当たり前の認識」について少しだけ触れましたが、モノの見方によっては当たり前なことは当たり前でなかったりします。
例を挙げれば、「識字率」です。
私達日本人からすれば、読み書きができるのが「当たり前」ですが、世界に視野を広げれば、「自分の名前を書けない」大人もまだまだ沢山存在します。
私の場合は、ブログの記事という形ですが、文章で思いや考えを伝えられる……これはとてもありがたいことです。
一番最初の名言にあった「疑問を持ち続ける」というのは、その「当たり前の認識」について、アインシュタインさんは問いたかったのだと思います。
「当たり前」のことを「当たり前に」思わず、「何でだろう? 何故そうなるのか?」
もっと深い「理解」を持とうとする姿勢が、一人の天才を生み出したのだと思います。
前にお師匠様に教わった言葉があります。
「愛は『深く理解』すること」
誰でもそうかもしれませんが、知った気になったりわかった気になったりして、理解は止まってし甲斐がちなものです。
私自身過去の恋愛含め、決めつけたりわかった気になったりして、「愛」が育つのが止まってしまったことは多々あります。
まだまだ出来ていないことが多々ありますが、好きなこと(好きになった相手)に「好奇心」を持ち続け、(どうして違うのか? 何が違うのだろう?)という疑問を持ち続ける事が、愛を深める=真の理解に繋がるのだろうなと考察と分析をまとめています。
『可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。
熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。
相対性とはそれである』
深い愛を育て続けたからこそ、相対性理論のような素晴らしい真理に辿り着いたのだと思います。
その始まりは、「もっと相手のこと(モノ、心理、真理、気持ち)を知りたい」という「好奇心」が始まりだったのだと思います。
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