2018年7月19日木曜日

幻想水滸伝を考察と分析。意志と人生の主人公

ゲームシリーズ第二弾は、大好きな幻想水滸伝にさせて頂きます。
いきなり、一番好きな幻想水滸伝Ⅱから書き始めようかとも思ったのですが、グレミオの「坊ちゃーーーーん!」という叫び声が蘇ってしまったのもあり、最初から書く気にしました。

末永いシリーズになると思いますが、よろしくお願いします。
名作です。

前半シリーズは、主人公の坊ちゃんに強く影響した二人の兄妹「マッシュとオデッサ」に絞って記事を書いてみます。
書いてて、こりゃ長くなる……のがわかったので、キリの良いところでまとめます。




まずはあらすじをお読みください。

『赤月帝国の皇帝バルバロッサ・ルーグナーは、賢王として知られていたが11年の統治の間に豹変し、今や国民からは暴君と呼ばれていた。

赤月帝国五将軍のひとりテオ・マクドールの子息である主人公は、周囲の信望と皇帝の期待を受け半ば将来を約束されていた。

ある日、宮廷魔術師ウィンディに追われてボロボロの体となった親友のテッドから、27の真の紋章のひとつ『ソウルイーター』を受け継ぐ。
この事で主人公は帝国に命を狙われる事となり帝国軍を離反することになる。

その後、偶然にも圧政を敷く帝国軍に反旗を翻すべく結成された解放軍の存在を知った主人公は、志半ばで息絶えたリーダーの遺志を継いで解放軍を率いることを決意。
トラン湖の古城に運命に導かれて集まった107人の仲間と共に赤月帝国を倒すべく戦いに身を投じる事となる。

太陽暦457年。
これは後世において、“門の紋章戦争”と呼ばれる戦いの物語である』
ウィキペディアより抜粋)



……プレイされた方なら同じ気持ちになると思いますが、「色々あったんだよーーー!」と思うと思います。

将来は帝国のエリートを約束されている立場だけど、帝国の不正と癒着で皆が苦しんでるは。

親友はボロボロの傷だらけになるは。
主人公は不老不死になるは。

住み慣れた帝都を追い出されるは。
成り行きで解放軍の活動の協力になるは。

……激動の展開続きです。

では、実際の場面を切り取って、論点である「リーダーの資質」に迫ります。



『グレミオ「まさか! 反乱軍の・・・・」

オデッサ「あら、反乱軍とは ひどいわね。
わたしたちは解放軍とよんでいるわ。
よびかたなんて気にしてないけどね』

……大事なシーンだと思います。
立場によって見え方が変わりますからね。

坊ちゃん率いるグレミオ(従者)から見れば、オデッサ達は敵に等しい反乱軍ですからね。
一方、帝国の腐敗と民の嘆きに応えようとするオデッサからは、解放軍になります。




この画像は幻想水滸伝Ⅱのワンシーンですが、グレミオの人間性が表されています。
そんなグレミオでも立場次第では、平然と悪事が行われていたとしても、結果として「見て見ぬふり」をするしかなくなってしまうのです。




ビクトールの強引な解放軍への勧誘を主人公の坊ちゃん達が迷っていると、突然の知らせが入ります。
帝国のために受けた任務が原因で、裁判もなしに処刑しようとしているという報せが入るのです。

主人公達は自分の良心に従い、オデッサと共に磔の山賊親分二人を助けに行きます。
何度も「ぼくらには 関係ないな」と断っていると、「ぼっちゃん。過去の過ちを認める勇気を 人は持たなければ いけません」というクレオの台詞が、心に響きますね。




余談ですが、幻想水滸伝Ⅰは何度もプレイしていますが、クレオだけは必ずスタメンにするこだわりがあります。

『あなたは、ティエルを守るのが役目
これを お持ちになってください。
必ずや役に立つはずです』
とレックナート様(未来を予測する力がある)は、クレオに火魔法が使えるアイテムを渡してくれるのですが、二週目以降だと切ないシーンです。

坊ちゃんの護衛は、選択次第で全員死ぬ可能性があるからです。
私はちゃーんと、レックナート様の言いつけ通り、クレオは必ずスタメンで使います。



坊ちゃんとしても気心知れた人と一緒にいた方が、心強いでしょうし。
坊ちゃんがクレオとどんな会話して、クレオが坊ちゃんに対してどんな思いを持っていたか気になりますね。

主人公がほとんど話さないゲームは、そういう想像する楽しみがあるのがいいですね。


……話を本題に戻します。

無事に、山賊の親分達を救出した坊ちゃんご一行に、更なる協力依頼をオデッサは頼みます。

『いいかげんにしてください!!
わたしたちは帝国軍の一員なんですよ!

そんな帝国に あだをなすこと、
できるわけないじゃないですか!!

行きましょう ぼっちゃん!
こんなところにいる理由はありません!」

温厚なグレミオでも激高します。
しかしオデッサはグレミオの本心を見透かしたように、真っ直ぐに向き合います。



『帝国軍が今 何をしているのか?
人々が何を望んでいるのか?
あなたはそれを 知らないと言うの?

グレミオさん。
あなたも見たでしょう、その目で。
あなたも聞いたでしょう、そのみみで。

自分の見たもの、自分の聞いたものに
うそをつくのですか?

(主人公)あなたは どう?
まだ 帝国にもどりたい?
いつまでもマクドール家の
おぼっちゃんでいたいの?』

主人公『父は父、ぼくはぼくだ』

……個人的には、その時歴史が動いた瞬間だと思います。
誰でも状況や立場に流されてしまいそうな場面は、人生を生きていれば、何度も経験してしまいます。

オデッサの「自分の見たもの、自分の聞いたものに うそをつくのですか?」の台詞は心に刺さりますね。


悲しいかな私達の現実社会は、理不尽な場面や理不尽な命令に従わざるを得ない場面もたびたび生じます。

坊ちゃんの「父は父=帝国軍の将軍という立場がある」
「ぼくはぼく=帝国軍の将軍の息子の立場を捨ててでも貫きたい思いがある」

その思いこそが「意志」なのではないかと私は考察と分析をしています。
グーグル翻訳が、とても心に響く「意志の意味」を教えてくれています。

『意志 どうしても、これをしよう、またはしまいという積極的な心ぐみ』
(グーグル翻訳より)




……では、今回のまとめをさせて頂きます。
私達はどうしても考えや思いを優先して「意思」に流されてしまいがちです。

美味しいものは食べたいし、ちょっとでもお給料は欲しいし、少しでも眠りたいし、沢山楽しいことをしていたいのが自然な人間です。

しかし、「意思」に流され続けていると「意志」が叫ぶ瞬間が誰でもあると思います。

「このままではいけない!」
「そんな判断をしてはいけない!」
「これだけはどうしてもやりたい!」

誰に何を言われても変えられない自分の思い。
それが「意志」なんだと私は思います。

「意志と意思の違い」は別の機会で記事としてまとめさせて頂くとして、ポイントを幻想水滸伝に戻します。


命ぜられるまま帝国の任務を忠実にこなしていた将軍のお坊ちゃんが、自分にとって有利な立場を捨ててでも貫きたい思いが生まれた瞬間、「意志」が生まれたこの瞬間こそが幻想水滸伝Ⅰの主人公へと昇華したように思えます。

私達はついつい「意思」に流されるのを好む生き物です。
変わらない立場と「意志」を貫くことに恐怖と抵抗感を誰でも感じてしまうと思います。

しかし、それでも貫きたい思いが自分の中に備わったときに、「誰もが自分の人生の主人公」になれるのだと思います。

続きます。

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