2018年7月5日木曜日

G戦場ヘブンズドアを考察と分析。意志の強さと弱さ

今回は「G戦場ヘブンズドアを考察と分析。意志の強さと弱さ」です。
漫画シリーズの考察と分析、第一弾です。

特にどの作品にしようと迷ったわけではないですが、漫画の考察と分析をするなら、隠れた名作にしようと思いました。

一般的には、「漫画家になるための漫画=バクマン」な印象が強いですが、このG戦場ヘブンズドアは、綺麗事を一切抜きにして、「汚い感情と汚い世界」について真っ向から挑んだ日本橋ヨヲコ先生の意欲作だと思います。

どちらかというと、マイナーな作品なので、ご紹介もかねて、私の感想文的なあらすじと共に作品の魅力に迫ります。
ちなみに、こちらの記事も没ネタだったので、ちょっと文章の癖や味が違うと思います。


私のブログ全体で一貫して唱えている「日々の習慣の見直しが大切。意志や気合でやらずシステムでやっていく」という分野からは若干のズレがあると思います。
ただ、今回の「意志の強さ」を読むことで、更に重厚感が増すと思い、新たに一つの記事として書き上げました。

ハッキリ言って、いつもよりもギャグゼロです。
私の悪い癖ですが、真剣な物に対しては、それ以上に真剣な思いで応えたくなってしまうのです。

G戦場ヘブンズドアは、全三巻でスラスラっと読めて、ズシンと残る隠れた傑作なので、本気で漫画家を目指している人や本気で絵を描きたい、作家になりたい人達におススメの作品です。




(あらすじと魅力)
超大物漫画家を父に持つ町蔵は、漫画が大嫌いでした。

家も富も人間関係も……自分をとりなす「環境」全てが、父が産み出した「漫画」という生き物によって、自分の環境が成り立っていました。
ひねくれるかのように、「誰からも好かれる子供が喜ぶ漫画を描く父」にコンプレックスを持っていたのです。

幼少時に描いた漫画を友達に見せたら「絵が下手なのにお父さんが堺田大蔵な訳ない。嘘つきだ!」と言われてしまい、町蔵は漫画=コンプレックスになってしまいました。
一話冒頭で、父の人気作単行本を見て、嬉しそうにはしゃぐ子供達に対して、町蔵は大人げなく暴れ散らすほどでした。


自分のアイデンティティを確立するように、誰かに訴えるかのように、「小説」を人知れず書き溜め、「己の証明」を小説にぶつけていました。
父のマネージャーと愛人になり、荒んだ毎日を過ごすほどでした。



そんな町蔵に大きな転機が訪れます。
町蔵の分身とも言えるもう一人の主人公「哲男」です。

彼は消え入りそうな笑顔と声でこう言い放ちます。

「ずっと強くてやさしい。
なんだろう、すごくいい。

こんなものを破くなんてできないよ。
僕にはできない」


常に父・大蔵との比較をされ続けてきた町蔵が、初めて他人に認められます。
同時に、救われた瞬間でもあります。

日本橋ヨヲコ先生が、私達読者の心の扉を優しく力強く、ゆっくりと開かせてくれた瞬間から、G戦場ヘブンズドアという作品は始まります。



紆余曲折があった後に町蔵は、父が審査委員長を務める少年ファイトの漫画新人賞に応募します。
「ある事件」がきっかけで、漫画が描けなくなってしまった天才少年の鉄男は、大蔵の連載作品とパートナー町蔵に影響され、再び漫画を描けるようになります。




特にこのシーンはとても感動します。

「中途半端なもの出そうとしてんなよ。妥協するな」
「俺も一緒に汚れてやる」

……鉄男に救われた町蔵が、鉄男を救うワンシーンです。
真っ直ぐに真剣にぶつかれる「意志の強さ」を持ち続けられるのが、町蔵の強さでしょう。



あくまで私の考察と分析ですが、町蔵と鉄男は似ていないようで似ているし、似ているようでやはり似ていません。

町蔵はとても自分に正直な人間です。
自分がつらい時、苦しい時は感情を発露せずにはいられないし、大切な誰かの苦しみに触れてしまった瞬間、涙が止まらなくなってしまう人間です。

一方、鉄男は「誰かのために自分のすべてを殺すことが出来る」人間です。
鉄男の側に人は絶えません。
皆、鉄男のお蔭で一度は救われたのも影響していると思います。

そんな鉄男自身は、漫画が好きで好きで仕方がないはずなのに、母親の遺言に従って、あっさりと医大を目指してしまいます。
常に自分のやりたいことよりも周りの幸せを望む鉄男は、誰かのためにあっさりと自分の幸せを放棄することが出来ます。



しかし、町蔵はそんな鉄男を許しません。
変わらずに一貫して、等身大の湧き上がった大切な感情を鉄男にぶつけます。

「俺は本気が見てえんだよ! 人の顔色うかがって描いてんじゃねえ!」

「作れないんだ、ストーリーが。
父さんに描いたあの漫画を最後に何も浮かばないんだ。
もう言いたいことがないんだ。
俺は、からっぽだから堺田君にひかれたんだよ。」

……鉄男も「空っぽ」だったのです。
あんなに溢れていたはずの才能、情熱、楽しさ……抜け殻になってしまっていたのです。
そして、自分と同じだったことを理解した町蔵は、心の叫びをぶつけます。



「もしお前が、もう一度俺を震えさせてくれるのなら、この世界で、一緒に汚れてやる。」

第一話に鉄男が町蔵に言った「自分がなくしてしまった大切な何か」を町蔵は、誰に対しても鉄男にも揺るがずぶつけます。




G戦場ヘブンズドアは、「人間の意志の強さと弱さ、そして尊さ」を説いた作品だと解釈しています。

鉄男や久美子(鉄男の幼馴染)、鉄男の父である阿久田鉄人や町蔵の父・堺田大蔵……深く知る前までは、エゴの塊で自分のことで手一杯だった町蔵は、漫画に真剣に向き合うことで様々なことを生きる上で「大切なこと」を学んでいきます。
目を向けようともしなかった「父の思い、母の思い」を知り、「大人」へと「漫画家」へと成長という変化が起こり続けます。



特に、このシーンは漫画を描く人や絵を描く人、作家を目指して文章を書く人には必見です。

「守りたいプロの人が沢山いるの。
生かすべくは、自分より面白いことを企んでくれる人間。

震えさせてくれるならさ、敵とか味方とか関係ないと思わない?」



「いい? これは仕事。
本気で嘘をつく仕事なのよ。

あなたの描くうそは、誰かがお金を払ってでも騙されたいものかしら?」


……「芸術」という分野は、真実とも嘘とも言える非常に境界線の曖昧な世界です。

その曖昧な境界線を「芸術」に昇華させるべく、読者へ「夢や大切なメッセージ」を届けるべく、バッハの「G線上のアリア」のように美しい「真実のメッセージと感動」へと転換させるべく、腕を磨いているのではないでしょうか?

誰に言われても変わらない。
誰に言われても譲らない。

好きや使命感を越えた「何か」があるからこそ、狭き門のトッププロ漫画家になれるのではないでしょうか?

私達の深層心理は知っています。
「嘘や偽物がつまらないことを」



最終話に町蔵はこう言い放ちます。
「漫画家に必要なのは、絵でも文章でもない。作者の『強い意志』だ」

第二話の冒頭で、町蔵の思い出せなかった「答え」を最終話では、しっかりと自分の言葉で力強く言い放つことが出来る人間に成長します。
そして、壊れてしまった空っぽだった鉄男も「人間」になっています。

納得の最終話です。


だからこそ、何気なく描かれた「大切な思いを持って、漫画を描く一人ひとりを守りたい」という台詞が、日本橋ヨヲコ先生の根幹に触れさせて頂いた気がします。


「誰かを思う誰かの強い意志が、
また誰かに救われる」

日本橋ヨヲコ先生のような「強い意志」を持つ誰かのお蔭で、私達は代わり映えのない「退屈な日常」を過ごすことが出来ます。
私達がつい忘れてしまう、そして忘れてはいけない「何か」をG戦場ヘブンズドアという作品は、ひたすらにリアリティという強さでぶつけてくれます。

私達が忘れないために。



そして、「大切なはずの強い意志」を薄れさせてしまっているのは、私達が何気なく没頭していること、不毛に時間を費やしている「日常」こそが原因なのではないでしょうか?

誰しも汚い部分やズルい部分、認めたくない最低な部分を持っていると思います。




そんな自分を誤魔化すように、「見て見ぬふりをしたい」「弱い自分のままでいたい」がために、「退屈な日常」を甘んじているような気がしてならないのです。

自分の「意志の弱さ」を誤魔化すように、快楽へ没頭してしまう。
夢を叶えるために必要なことと関係のないことに時間を割いてしまう。

その仕組みを直すことが、夢を叶える方法への近道なのではないでしょうか?
かつての私自身がそうだったからこそ、自分へ言い聞かせるべく書いています。


だから、私は「自分の悪い部分から目を背けない。ありのまま受け入れる。直すべく改善と反省を怠らない」生き方を選びました。
おそらくですが、日本橋ヨヲコ先生と同じだと思います。

ただ「美しい世界」へ、「どんなに汚れても壊れても美しい自分で居続けたい」のです。
そんな生き方が、たまらなく面白いのです。

その存在こそが、「夢をかなえられない大きな原因」だと私は考察と分析をしています。


最後に、本当に忘れてはいけない大切なこともこの作品は教えてくれています。



これこそが、私達がもっとも忘れてはいけない「大切な何か」だと思います。

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