2018年7月23日月曜日

青髭を考察と分析。罪、スリル、快感。好奇心の価値

青髭のまとめに当たる考察と分析をしてみます。
「残酷性、スリル、快感」を中心にまとめてみます。

まず、エピソードから書かせて頂きます。
「残酷性」の話です。



この夏の暑さになると思い出しますが、子供の頃は昆虫を捕まえるのが好きでした。
大人になった今では、「雑菌」などの情報が判断基準になってしまい、あまり虫に触るのは嫌になってしまいました。
人は「情報」によって行動が変わるんだなと少し思います。

当時、仮面ライダーにハマっていたのと「仮面ライダー=改造バッタ」という話を聞いた私は、いてもたってもいられずにバッタを捕まえては改造手術を行っていました。
首を引きちぎっては、繋げる行為を繰り返していたと思います。
そんなことをしたからと言って、「仮面ライダーを作れるわけがない」という論理的思考が欠けていたのが原因だと思います。

あくまで当時はですが、「悪いことをしたな」という罪悪感すらありませんでした。
「快感」というよりは、「仮面ライダーを作りたい=好奇心」のみで行動が突っ走っていたと思います。



同じく、銀トカを思い出します。
小学生の時に、トカゲを捕まえるのが流行りました。

偶然、銀色のトカゲを捕まえた私は、友達達の称賛を浴びました。
片時も離れたくなかったので、筆箱の中に入れていたと思います。

筆箱で挟んだのかどうだったのかは覚えていません。
しかし、銀トカは死んでしまっていました。

赤い血を流して死んでいました。
初めて私は「悪いことをしたな」と思ったと思います。
「罪の意識」です。




子供の頃に、火遊びにハマりました。
火のついたライターに殺虫剤や香水を吹きかけると、火炎放射器のようになる刺激に憑りつかれました。

受験勉強のストレスを発散したかったのだと思います。
好きで楽しかった空手や友達と遊ぶ時間が極端に無くなり、自分の人生がほぼ親の意志と塾の先生の意志で決まっていきました。

心臓が破裂しそうな独特の陶酔感がありました。
「スリル」です。



今はあまり興味がなくなり見なくましたが、あまり人に誇れるものではない趣味がありました。
「ゆ虐」です。

東方の二次創作の「ゆっくり」という「動くお饅頭達」を虐待する話です。
ゆっくり達も「善良」と呼ばれる優しくて思いやりのあるタイプもいれば、「ゲス」と呼ばれる他者を見下すタイプもいました。

鬱屈することが多かったのか、「ゆ虐」の漫画を読み漁りました。
「夢は叶わない」の話に合った「空想のサイコロ」の例がわかりやすいですが、空想上で「ゲスなお饅頭が折檻される」のを見ると胸のつかえが取れるようにスーッとしていたのです。



動物虐待や他者への暴力は全くないに等しいくらいないと思います。
今もそんな気持ちは露ともわきません。
ただ、空想上のお饅頭を制裁しているのを見ると、気分がスッキリしました。

私が正義感が強すぎるのがいけないのだと思いますが、「善良」ばかりが文句も言わず、黙々と仲間や家族のために働いて、「ゲス」ばかりが何もせずに文句ばかり言って「あまあま=ご馳走」をピンハネしたり、独占したりするのが、当時は許せなかったのだと思います。

「鬼威参」と呼ばれる人間が、ゲスを制裁するシーンは、北斗の拳のケンシロウがモヒカン達を成敗するのと同じかそれ以上の「感情」を刺激しました。
「快感」です。



……青髭のまとめの考察と分析に入ります。

前回の記事にも書きましたが、私の見解では「青髭という作品は『好奇心と信頼』を伝えたかった作品」だと解釈しています。
青髭のソフィー(奥さん)を試すやり方は、私は一人の人間としては支持できません。

しかし、「理想の旦那」を演じていたのか、本当になろうとしていたのかはどちらか確定できませんが、「これだけは信じて欲しい=守って欲しいルール」を「好奇心」で破られたのが許せなかったのだと思います。
青髭は「ソフィーを信じたかった」し「信じることで変わりたかった」のだと解釈しています。




モデルになった「ルシ=エド」の逸話を参照にして頂ければわかりやすいと思いますが、現代でいうところのサイコパスという表現が適切だと思います。
「残虐な行為をすることで、スリルや背徳感を覚え、快感が生まれしまう」のだと考察と分析をしています。

論点ですが、そのような反応システムの人間が育ち、その反応システムが強化されることに問題があるのだと伝えたいのです。



北斗の拳のケンシロウがわかりやすい例だと思います。
もしケンシロウが、虐げられし民を守るためではなく、制裁を目的としてモヒカン達に暴力を喜んで振るうようでは、「救世主」ではなくただの「殺戮者」です。

秘孔の研究と称して、誰彼構わず、秘孔をついて殺戮行為を繰り替えてしまっては、ただのアミバです。




私自身もですが、もし「昆虫を改造が、動物を改造」にまで発展していた場合、趣味が動物虐待の人間が誕生してしまいます。

同様に、いまだに「ゆ虐」を見続けたり、「ゆ虐」の作品を作ったりしていたら、「空想上で制裁するのが快感」な神経回路を強化し続けた人間になっていったと思います。
火遊びが好きなままだったら、放火犯になってしまっていたかもしれません。

「好奇心は猫を殺す」はそのリスクの部分に特化して、「人生の破滅」について伝えたかったのだと思います。



……好奇心の悪いことばかり書きましたが、好奇心はとてつもないパワーを秘めていると私は思います。
幾つかの好奇心の名言を抜粋させて頂きます。

『人事の興味は、人間への興味だ。
人間への旺盛な好奇心だ』
(城山三郎さんの名言)

とても重要な名言だと思います。

私は人の相談に乗ったり、誰かの力になるのが好きな人間です。
それこそ、猫まっしぐらなくらい、時間も相手の状況も気にせず突っ走って、沢山失敗した人間です。

ポイントは「他者を壊すことで快感を得るのか? 他者を再生することで快感が得られるのか?」
その目的こそが重要なのだと思います。




『学問のもとは、好奇心。
好奇心を育てるようにしておけば、優れた人物も、自然に育ってくる』
(星新一さんの名言)

『私には特別な才能などありません。
ただ、ものすごく好奇心が強いだけです』
(アルベルト・アインシュタインさんの名言)

……相対性理論のアインシュタインさんは、「好奇心」についての名言がとても多いです。
私の「好奇心」が刺激され、「アインシュタイン名言を考察と分析。好奇心の力」を書きたくなってしまったので、近日中に記事にします。




記事のまとめに入りますが、「好奇心」というとてつもないパワーをどこへ向けるのかが重要だと思います。

二元論は好きではないですが、わかりやすいので使わせて頂きます。
「悪意」という好奇心が育つ神経と反応回路が育ってしまった場合、「人を壊すために何でもアリ」になってしまいます。

反対に、「善意」という好奇心が育つ神経と反応回路が育っていく場合、「どうすれば人が喜ぶのか?」を人類が競い合うと思います。
シンプルに60億人の人類が、「善意という好奇心」を育てた方が地球にとって効果的なのではないかと私は思います。




十人十色……人と人は価値観や培った意識が、一人ひとり異なります。
だからこそ、「相手をより深く知ろう。違う価値観を擦り合わせよう」とする「理解」こそが重要なのだと私は考察と分析を終えています。

青髭のソフィーが足らなかったのは、「結婚」という一大イベントを終えたのに、旦那を本当に深く理解しようとしなかったのがいけなかったのだと思います。
同様に、青髭も自分の決めたルールで見切りをつけて、ソフィーを見限ったのがよくなかったのだと思います。




私自身もてんでダメですが、「もっと相手のことを学ぼうとする『理解しようとする愛』が」欠けていたのだと思います。
本当にまだまだですが、一人ひとりを大切にして、一つひとつを大事にする神経と反応システムを磨くことが人生のカギだと私は思います。

「大切にしたい人を大切にする」
まずは、お師匠様に教えて頂いたこの言葉を胸に、少しでも毎日を充実させていきたいと思います。

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