2018年7月4日水曜日

疲労の原因と副腎を考察と分析。心が壊れる音

今回は「疲労の原因と副腎の関係性について考察と分析」させて頂きます。
前回と同じ疲労シリーズ第二弾です。
主にストレスと疲労の関係について、ストレスが体内にどのような悪影響を与えているか考察と分析をさせて頂きました。

後半部分は、実体験に基づく衝撃的な内容もございますので、「無理だな」と思ったら読み進めないことをお勧めします。
「疲労と副腎、そしてストレスの影響」のエビデンスや考察と分析に関しては、前半部分と次回記事を読むだけで十分楽しめる内容で制作してみます。
まず、本間龍介副院長の体験談を元に要点を要約した文章をご紹介致します。
参考文献:「何をしても疲れが取れない、気力や体力が出ない。でも、健康診断の数値に異常はない……。そんな人は、ストレス過多による「副腎疲労」の可能性も

『本間龍介副院長は、6年ほど前に原因不明の疲労感や気分の落ち込みに悩まされ、ベッドから起き上がれないほどの状態になってしまいました。

病院の検査でうつ病と診断されるも抗鬱剤は全く効かず、症状は悪化する失意のどん底状態の時に、ジェームズ・L・ウィルソン博士が治療・研究に携わる「副腎疲労(=アドレナル・ファティーグ)」に出会います。

「ストレスには、精神的なストレスだけでなく、大気汚染や食品の添加物、気温の変化、食生活の変化、持病や感染症など、体内で炎症を起こす恐れのあるもの全てが含まれます。
ストレスが多く、コルチゾールが過剰に分泌される状態が続くと、副腎が疲れて必要なときに十分な量を分泌できなくなり、ストレスと闘えなくなる。

この状態を『副腎疲労(アドレナル・ファティーグ)』と呼びます。
正式な病名ではなく、欧米や日本のような先進国でもまだ多くの医師が認識していない病気ですが、副腎疲労になると、炎症を抑えられず疲労感や様々な不調が出やすくなります」
(良子院長・談)

コルチゾールは血糖値や血圧のコントロール、免疫機能や神経系のサポートを司っているため、副腎疲労状態になると生活習慣病やうつ病、花粉症などのアレルギー症状を引き起こしている可能性があります。

「米国の抗加齢医学会では副腎疲労は『万病のもと』といわれ、甲状腺の病気や感染症、喘息、うつ病、糖尿病、高血圧など様々な疾患を治療するにあたり、まず副腎疲労の治療を優先的に行うよう指導しています。
副腎を疲れさせないようにすることは、体のベースを整え、パフォーマンスを高めることにつながると考えられています。
(龍介副院長・談)
2005年から川崎市に日本初の副腎疲労外来があるスクエアクリニックを夫婦で開業し、副腎疲労治療のプロとして活躍されています』





……如何でしょうか?
私は元の記事を読んだ際に、「自分の事だーーー!!」とまるで他人の気がしませんでした。

別の記事達でも類似した内容を書いていると思いますが、ズシンと芯まで残るいくら休息してもとれない疲労が、借金の利息のようにどんどんと溜まっている状態でした。

自分を美化するつもりは更々ない……それでも美化した表現かもしれませんが、「プツリと糸が切れた人形」のように、やる気も気力も生き甲斐も消えてなくなってしまい、ドラクエのコマンドの選択でいう「何もしない」が快適になってしまいました。


「何もしないことが快適で、ひたすら横になっていたい」
人間としての活力を無くしてしまいました。

気がつけば、自分の人生が「どうでもいい」ものになり、口癖までが「どうでもいい」になってしまいました。


類似したエビデンスも列挙します。
順天堂大学の白澤卓二教授も副腎疲労について指摘しています。

「研究途上の領域だが、診断基準(副腎疲労の)ができれば一気に該当者が出てくる可能性がある」
「まず(副腎疲労の)原因を取り除くのが大事だ」
(日本経済新聞朝刊より抜粋、一部加筆)

銀座上符メディカルクリニック(東京・中央)の上符正志院長も副腎疲労が原因だと指摘している。
「うつ病や更年期障害を疑って心療内科などを訪れることが多い」
「心療内科などで解決できなければ、副腎の疲労を疑ってもよい」
(日本経済新聞朝刊より抜粋)


……現在、日本は特にですが、世界中で「うつ病」は大きな社会問題になっています。
「うつ」として認定される共通した前提は、「やる気が出ない…気力がわかない…何もする気が起きない」です。

医療ミスという話ではなく、私のような症状にまでなってしまった方達や私の母親のように「薬を飲めば飲むほど、病状が悪化するうつ病」の方達は、最適な診療を受けられていないのではないかと問いたいのです。
別の記事でもちらほら書きましたが、「躁うつ病と向き合う家族」は悲惨なものです。

いくら話しかけても、まともな返答をせずにうつむき続ける母。
突如、烈火の如く怒り出し、実の息子に包丁を振り回す母。
私の思春期は生き地獄でした。




忘れもしないエピソードがあります。
どうしても皆様に伝えたい辛い話です。

私が中学二年の時に、母親は精神病院に救急車で緊急搬送されました。
後で聞いた話なので、絶対に確実な情報ではないかもしれませんが、パトカーも救急車も出動する事態だったようです。

自宅に戻ると、部屋中の皿やコップが割れていました。
母の目つきはまともではありませんでした。

私と目が合うと、母は私に向けて包丁を振り回しました。
「お前なんか、殺してやる! お前なんか殺してやる!」

必死の思いで説得を試みましたが、無駄でした。

「お前なんか出てけ! お前なんか出てけ!」
私は家を追い出されてしまいました。
途方に暮れて、義理の父親に電話するも繋がりませんでした。

誰にも頼れませんでした。


結局、当時の私が嫌悪していた親戚の家に泊まることになりました。
その家庭は長男が、重度の自閉症でまともなコミュニケーションが取るのが苦手で、何かあると壊れるくらい頭を柱にぶつけていました。

決まって、その母親は長男を何度も殴りました。
棒で叩いたりもしました。

世間体の評判が良い人でした。
特定の宗教に入っていたのですが、熱心に信仰し、とても評判の良い人でした。

そんな環境に自分がお世話になることが許せませんでした。
そんな人間が「優しいと言われる世界」が許せませんでした。


一晩か二晩かそこらで、自宅に戻ることにしました。

精神病院へ母の見舞いに行きました。
大好きだったシュークリームを沢山買って持ってきました。

母は壊れていました。
呂律が回らず、一人で歩くことも出来ずに、フラフラとフラフラと揺れていました。

シュークリームを食べようとした母が一瞬、笑顔になりました。
一人で食べることが出来ずに、シュークリームに顔ごと突っ込んでいました。

母は照れて誤魔化すように笑った後に、私にこう言いました。
「ごめんね。本当にごめんね」

私は泣き崩れてしまいました。
言葉にできない「何か」が芽生えました。

ある時に湧き上がるように出てきた言葉です。
「こんな場所が『精神病院』なら世の中は狂っている!」



……もう終わったこと、整理できたことのつもりでしたが、書いていて涙が止まりませんでした。
もう泣かないように決めていたのですが、それでも泣いてしまいました。

あくまで、この記事で何が言いたいのか何を伝えたいのかに論点をエピソードで語ります。



私という人間は、育った環境で「人が壊れていく様」を体験したのが原因で、死ぬに死ねないほど強い動機が出来上がりました。
「もう人が壊れる姿を見たくない」

その後、お師匠様と出会い、色々な葛藤や試練、挑戦をダメな自分なりに精一杯取り組みました。
夢は叶いませんでした。

理想を現実にすることが出来ませんでした。


相手の顔色を見て調子の良いことを言ったり、うわべだけ合わせて、悪気はないんだけど文句や不満を口にして、帳尻を合わせるために、嘘を吐いたり適当なことを言ったり、誤魔化したりしました。
口では綺麗なことを言って、多くの人に夢や希望を描かせて、やってることで裏切り続けてきました。

今ならわかります。
「そこ」にこそ、理想を現実にできない理由と原因が秘めていたことを。


そんな私でも愛してくれた人と出会い、そして別れ。
夢を叶える手段もわからず、悶々としてしまいました。



気がつけば、「感情」に支配されてしまい、仲の良い人達を沢山傷つけ、「親友」と呼ばれる人が誰もいなくなりました。
逃避するように、パチンコやゲームに没頭し、その場限りの快楽ばかりを追求し、夢を叶えるための手段を後回しにしていました。


母親のような「精神病患者を何が何でも救う」と固く、固く、固く、固く誓ったはずなのに叶えられずじまいでした。
あんなにも強く誓ったはずだったのに……

そして、私も完全に壊れました。
救急車で緊急搬送されました。

その時のことはよく覚えています。
見えない敵と戦い続け、「演技」ばかりをしていました。
わざと気が狂ったことを演じるために、自分の髪の毛を口の中に舌を使い入れるようにしていました。

何気なく思いました。
「何で、皆騙されるんだ!」

私は人生に疲れ果て、ひたすら部屋にこもりました。
いつからか寝たきりになってしまいました。
人生なんてどうでもいい。

「無気力」が私を支配していました。

……あくまでこの例は、私の人生なので特殊だと思いますが、記事の論点と絡めた重要な本題に移ります。


私は人生に疲れてしまったのです。
そして、多くの現代人達は原因が複雑に絡み合った「疲労感」に支配されてしまっているように思えます。
そうにしか見えないのです。

自分を考察と分析した確信に近い結論ですが、「演技」したことが始まりだったんだなと今になって気づけました。
自分ではない「何か」を演じることで、見返りを求めていただけの話だったのです。

その「演技」こそが、本音と建て前、理想と現実を真っ二つに分ける大きな原因の要素なのではないでしょうか?
重要なキーワードだと思うので、追って「演技を考察と分析」させて頂きます。

そして、その存在達が私を完全に壊してしまったのです。
冒頭にも書いた「ストレス」です。


次回はエビデンス重視で、「ストレスと疲労の原因を考察と分析」させて頂きます。
今回のエピソードは、重くて受け止められない方もいるかもしれませんが、これが私です。

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